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    花影に微睡む 2


     
    「佐為……ッ!!」

     彼の姿以外、何もかも一切目に入らない。ただ夢中で、感極まって抱きついてきたヒカルの腕からするりと身をかわすと、キリリとした面持ちで佐為はヒカルを睨みつけてきた。
     警戒心に満ちた表情。
     刀のように扇子を突きつけ、適度な間合いを保ちながら、膝をつくヒカルと対峙する。

    「今一度、問います。貴方は何者ですか?物の怪か?物の怪がなぜ私の名を呼ぶのです?」
    「物の怪って……?ちょ、違うよッ!オレはお化けじゃないって!お化けなんかじゃ……」

     あれ?

     桜がない。桜木と思しき大木は紅葉になりかけている。
     両手を地面についた姿勢のまま、ヒカルはきょろきょろと辺りを見回した。

    「ここは、どこ?」
    「ここは私の屋敷の庭です。コホン……屋敷としてはいささか手入れが行き届いていないかもしれませんが」
     空気が違う。澄み切った秋の気配を感じながら、不意にヒカルは確信した。
    「ひょっとして……今って平安時代?」
     柳眉が寄せられ、涼やかな目がますます細められる。
    「今は一條帝の御代です。そのようなことも知らぬとは。遠い昔の世に封じられでもした妖か?」
    「佐為……お前、生きてるのか?」
    「なんと!生きているに決まっているじゃありませんか!不吉な事を……一体何を言い出すのですか、この妖はッ!」

     ──はあ。なんとか飲み込めてきた。歴史の教科書を必死に思い出す。
     つまり、ここはたぶん平安京で、佐為の生きていた時代なんだ。
     ゆっくりと立ち上がるヒカル。

    「佐為……」
    「近づいてはなりません!」

     佐為に触れようとした手が、狩衣を通り抜け、空を切った。
     じっと手を見るヒカル。生身でここに来たわけじゃないんだ。
     つーことは……オレ、佐為の意識の中にいる?生霊みたいなもの?
     以前の、オレにとっての佐為みたいな感じで……
     ヒカルはため息をついた。

    (佐為から見れば、今のオレは立派な物の怪だよなァ)

     千年後の記憶もないだろうし。
     この佐為は、オレのことも虎次郎のことも知らないんだ──

    (──まァ、いっか)

     手を握り締め胸の痛みを心の奥底に仕舞い込むと、ヒカルは微笑した。
     それでもいい。神様の悪戯でも物の怪の仕業でも構わない。こうしてオレの前にいる佐為も佐為なんだ。ぜーたく言ったらバチが当たるぜ。
     頭を切り替える。なんとかオレが悪い妖じゃないってこと、佐為に分かってもらわねえと。
     警戒心を解いてもらうにはどうしたらいいだろう?
     佐為に受け入れられそうな言葉はないかと、ヒカルは頭をひねった。

    「えっと……オレは一応物の怪じゃないんだけど、それはどうでもいいや。オレはお前に会いに来たんだ」
    「私に?妖が私に何の用があるのですか?」
     ヒカルはにっこりと微笑んだ。
    「お前と碁が打ちたくて来たんだよ」
    「私と、打ちたい……?」
    「オレは、強いぜ?」

     碁と聞いたとたんにぽかんと目を見開いて態度を軟化させる佐為を、ヒカルは楽しげに見守った。この囲碁バカっぷり、昔から変わんねェのか。間違いなく、コイツは佐為だ。
     ヒカルは佐為を見つめた。こんな奇跡はきっと二度と起こらない。ここで佐為と打てなかったら一生後悔する。
     挑発するように笑みを浮かべてみせる、と。ヒカルの闘気に佐為はすかさず反応を示した。

    「私を誰だと思っているのですか?この藤原佐為、石をとって妖ごときに負けはしません」
    「じゃあ、打とうぜ。オレが悪い妖かそうじゃないかは、打ってみりゃ分かるだろ?」
    「──分かりました」

     佐為が石を並べていたのだろう、桜木の木陰には打ちかけとなった碁盤が置かれていた。
     佐為に誘われて席に座り、碁盤を前にしてはたと気づく。
    (碁石、持てねェんだった)
     ジャケットの内ポケットを探ると、ヒカルは懐から扇子を取り出した。

    「ごめん。この体じゃ石持てねえからさ。これで打つとこ指すからオレの代わりに石置いてくれないかな?」
    「石も持てずに碁を打ってきたのですか?」
     この妖は本当に碁が打てるのかと怪しんでいるのだろう。佐為が訝しげな視線を向けてくる。
    「いいからいいから。さ、打とうぜ」
     佐為の鋭い眼差しが感じられる。
    「宜しいでしょう。ならば、貴方から先にお打ちなさい」

     ふうん、ハンデをくれるのか。オレの力を量る気だな。
     だけどオレだって未来の本因坊だ。今のお前に負けるわけにはいかない。

     ──この瞬間。オレは、碁盤を挟んで佐為と向き合っている。
    (夢じゃない……いや、夢でもいい──)

     不意に、痛いほどに胸が締めつけられ、涙が込み上げてきた。
     夢でもいい。碁盤の向こうにお前がいる。もう一度、お前と打てるんだ。
     息を吐いて、溢れ落ちる涙を拭うヒカル。その様子を目にし、戸惑ったように表情を和らげると、佐為は不思議そうにヒカルの顔を見つめた。

    「なぜ、泣くのです?」
    「えへへ……お前と打てるのが、嬉しいんだよ。──それじゃ、はじめようか」
     居住まいを正して佐為の眼を真直ぐに見つめ返すと、ヒカルは深々と頭を下げた。
    「よろしくお願いします」
    「よろしくお願いします」


     勝敗は、あっけなくついた。


     投了した佐為は、驚愕の表情で食い入るように盤面を見つめている。
     我に返ると、有無を言わさぬ形相で佐為はヒカルに言いはじめた。

    「もう一度!もう一度打ってくださいっ!お願いです~っ!!!」
    「アハハ、何度でも打ってやるさ。今度はお前が先に打っていいぞ」
    「ええ。失礼をいたしました。貴方の力を量ろうと指導碁で対するなど、とんでもない心得違いでした。次こそは私の全身全霊を賭けて打たせていただきます」
    「そうこなくっちゃ。オレも一切手加減しないからな」
     お前もオレに手加減なんかしなかったし。
    「ハイ!よろしくお願いします」
     ふと、やっと気づいたように、佐為は恐る恐るヒカルに問いかけた。
    「そういえば、私はまだ貴方の御名を伺っておりませんでした」
    「オレの名は進藤。進藤ヒカル。──ヒカルでいいよ」
     安心させるように気さくな笑顔を向けると、ヒカルは穏やかに答えた。


     黒石が、右上スミ小目に置かれる。
     そっか、昔からここが好きだったんだな、佐為は。
     目の前にいるこの佐為は、千年の歴史を背負ってはいない。定石は古いし不完全だし。オレの知ってる佐為と比べたら打つ手は甘いし、所々に未熟さも目につく。ああでも、不公平だよな。オレは千年後の碁を知ってて百戦錬磨の佐為に教えてもらって囲碁の勉強したんだから。ていうか、こっちの佐為に負けたら、オレってダメダメじゃん。オレに教えてくれた佐為や塔矢や皆に顔向けできないって。
     だけど──そう、この手だ。ここしかないっていう厳しい一手。千年前のこの時代にこんな手を打ってくるなんて。誰に教えてもらったわけでもないだろうに、さすが佐為。凄いセンスしてる。やっぱこいつって天才だ──

    「──負けました」

     がくりと力なく項垂れる佐為。

    「こ、この私が先に打って負けるなどと……」
     袖を噛んでウルウルする佐為を、苦笑しながらヒカルはなだめた。
    「しょうがねえよ。オレ、千年後の世界から来たんだから。お前の知らない定石とか一杯知ってるし」
    「千年後?」
    「そ」
     腕を組んで、大きく頷くヒカル。
    「これから千年の間に大勢の棋士が打ってきてんだ。オレはその棋譜や戦術を知ってるからお前より有利なだけなの」
    「……宜しければ、貴方の話を伺いましょうか」
    「ほんと!オレのこと認めてくれたの?」
     ぱっと顔を輝かせるヒカル。佐為は相変わらず盤面を見つめながら考えを巡らせている。
    「ええ。少なくとも、悪い妖ではないようですから。悪意を持つ者に、貴方のような碁は打てない。というよりはむしろ……」
     ハッと顔色を変える佐為。
    「よ、よもや、貴方様は、妖どころか神か神仙!?」
    「ち、違うってば~~!極端に走るな!オレはただの人間だっつーの!」





    「小丸や、白湯を二つ持ってきてください」

     通りがかりの使用人と思しき少年に佐為が声をかけると、10才くらいの年ごろの子供は目をぱちくりさせて首を傾げた。
    「佐為さま、どなたかいらっしゃるのですか?」
    「何を言っているのです?客人はここに……」
     不思議そうにヒカルを顧みる佐為に、ヒカルは慌てて言った。 
    「オレの姿はお前にしか見えないんだよ。オレはいないものとして振る舞わないと、周りの人に変に思われるぞ!」
    「そうですか……ああ、すみません、小丸。やはり白湯は一つでよいですよ」

     首を傾げ傾げ立ち去る少年を見送りヒカルに向き直ると、佐為は口を開いた。

    「さあ、貴方が何者か、なぜ私の名をご存知なのか、教えていただけますか?」
    「ええと、どう話したらいいのかな……」
     ふつーなら到底信じられない話だけど。

    「ところで、オレ、どんな風にこっちの世界に来たの?ここで、佐為は何をしていたんだ?」
     陽光に透けて、風にそよぐ葉を見上げる佐為。
    「いえ、これから紅葉になろうとするこの木も、春には花が咲いていたなと。この木の下で名手と打てたならさぞ趣き深いことだろうと考えておりましたら、急に目の前に花が満ち溢れて、貴方が現れたのです」
    「そうか。あっちの世界じゃ花が咲いていたから・・・・・・オレも桜の木の下でお前と打ちたいと思っていたから、ひょっとしたら桜の精霊か神様がオレの願いを聞き届けてくれたのかもな」
    「貴方の願い?」

     遠い眼差しとなるヒカル。

    「オレ、お前に会いたかった。もう一度、お前と打ちたかったんだ」
     躊躇いがちに、扇で口元を隠す佐為。
    「──私は貴方にお会いしたことはないように思いますが」
    「うん。オレが会ったのは、お前の幽霊だから」

     佐為は絶句すると固まった。
    「なっ!わ、私はこの通り生きているではありませんか!」
    「千年後の話なんだよ、オレたちが出会ったのは」

     えーと、佐為は……昔の話を何と言ってたっけ?

    「お前はオレのじいちゃんちの蔵にあった碁盤に取り憑いていたんだ。千年前……お前にとっては今だけどさ、偉い人の囲碁の指南役をやってたんだけど、もう一人の指南役のおっさんに勝負を挑まれて負けたんだって聞いた。といっても、勝負に負けたんじゃない。そいつが自分の碁笥に白石を混ぜておいて自分のアゲハマにした挙句に、その誤魔化しをお前がやったように言って皆の前で嘘をついたんだ。それで、無実の汚名を着せられたせいでお前は都にいられなくなって、入水自殺することになったって……千年後の、幽霊になったお前はそう言ってた」

     話しながら、知らず、心には漠然とした不安が広がってくる。これって、この佐為にとっては未来の話だよな?そしたら、オレがこうして千年後の佐為の話をしちゃったら、過去が変わってしまうんじゃないのか?もしかしたら、オレがここで佐為に力を貸せば、佐為は死ななくてすむかもしれない。だけど、そうしたら佐為は幽霊にはならないわけだから未来も変わっちゃって……
     千年後、オレと佐為はもう会えなくなるのか?

     つかえつかえ、ヒカルが話を進めるうちに、佐為の表情は次第に険しいものとなっていった。

    「オレはお前に碁を教わったんだ。オレに碁を教えてくれた後……あっちの佐為は消えちまった。それからずっと、オレはお前が戻ってきてくれないかと、お前と打ちたいと、そう思い続けてきたんだ」

     いつしか、佐為の澄んだ双眸が、ヒカルをじっと見つめていた。
     なぜかその視線に居たたまれない気持ちになって、ヒカルはふいと目を逸らした。
     佐為はゆっくりと言った。

    「なるほど……。貴方が私のことを知っているという話に嘘はないようです」
     ──信じてくれるのか?
     荒唐無稽ともいえるヒカルの話を、あっさりと受け入れる佐為を上目遣いで見やると、ヒカルはおずおずと言った。 
    「そのう……オレの話を疑わないの?」
    「疑ってほしいのですか?」
    「いや……そういうわけじゃないけど。普通信じられない話だろ?」
     頷く佐為。
    「確かに、にわかには信じられないような話です。しかし、貴方の打つ碁は貴方の話と矛盾しない。むしろ、そうであれば貴方の碁に説明がつきます。故に、貴方の言っていることは真実なのでしょう」
     ヒカルの姿を上から下まで見分すると、佐為は小さくため息をついた。
    「それに、貴方は嘘をつくような者には見えませんし……いささか怪しいなりではありますが」

     金色の前髪、イエロー系のジャケットに洗いざらしの紺色のジーンズ。

    「ちぇっ。怪しいってなんだよ。オレの世界じゃこれで問題ないのに」
     不貞腐れるヒカルに微笑みかけると、佐為は表情を引き締めた。
    「それに……一月後に大君の御前で対局を行うことは、つい先日決まったばかりでまだ世間には知られていないはず。貴方がそれをご存知であることからして、すでに尋常な話ではないことは明らかです」
    「ひと月……あと一か月しかないの!」

     がばと立ち上がるヒカル。

    「ダメだ!そんな対局しないで放っておけばいいじゃないか!でないとお前、悪い奴に濡れ衣着せられて死ぬハメになるんだぞ!」
     涼やかな目がヒカルに向けられる。
    「そういうわけには参りません。この対局は帝の命によるもの。断るなど有り得ません。行かねば、藤原佐為は負けるのが怖くて逃げたのだと、いっそう世間から謗られることになりましょう」
    「そんな……」
     力なく座り込み、俯くヒカル。やっと、声が出た。
    「佐為……死なないでくれよ。お前が死ぬのは……」

     言葉が詰まった。たとえ、千年後にお前と会えなくなったとしても。お前の悲しんで死ぬところなんて……オレは見たくない。
     今にも泣きそうな表情でぷいと顔を背けたヒカルをまじまじと見つめ、一瞬躊躇った後、佐為は手を伸ばしてヒカルの頭を撫でるようにした。たとえ触れることはできずとも──
     佐為はにっこり微笑むと、明るい口調でヒカルに答えた。

    「大丈夫ですよ。要は勝てばよいのですから♪」
    「……そりゃそうだけどさ」
    「多少の誤魔化しをされたとしても、あの者が相手で私が負けるとすれば、それは私の力のなさ、心の弱さが招いた結果なのです。真に力があったとすれば、そんな小細工が通じるはずもない。それに勝るほどの差をつけて勝てばよいだけの話なのですから」
    「でも、それなりに強いやつなんだろ?」
     淡々と答える佐為。
    「ええ、今は私の方が少しばかり勝るといったところでしょうか。先に打てば負ける気はしませんが、後となるとほぼ互角といっていいでしょう」
    「じゃあ、お前……」
    「大丈夫。私は勝ちます」
    「佐為」

     深刻さの欠片もない表情で、手を取らんばかりの勢いで、佐為はヒカルの方へと身を乗り出した。
    「それよりも、お願いします。ヒカル、これから一月の間、私と打ってくださいませんか?」
     花のように笑顔がこぼれた。


     ──貴方が打ってくださったなら、必ずや私は勝ってみせますよ。





     パチリ。
     パチリ。
     パチリ。

     来る日も来る日も。晴れの日も雨の日も。
     佐為の屋敷では、これまでにもまして、石の打つ音が絶えなくなった。
     家の主は、天気のよい日に屋敷の庭に出るかと思えば、必ず碁盤と碁石を携えていく。
     盤面を睨んで長く黙り込んでいたかと思えば、ひとり言をいいながらくすくすと笑ったり、叫んだり、驚いたり、ほうほうと感心したりと、まるで誰かと打っているかのように碁盤の前に座り続ける主の姿に、すわこれはお気が触れたか妖にでも憑りつかれたかと、わずかにいた雑色も恐れをなして屋敷を出て行ってしまい、終には、佐為の元に残った使用人は小丸とその母親の二人だけとなってしまっていた。

     ……だからー。周りに人がいる時には、オレがいないように振る舞えって言ったのに。
     ここまで天然だったとは──

    「佐為さま~。朝餉をお持ちいたしました」
    「……………………………」
    「気づいたら召し上がってくださいね~」

     様子を伺いつつも主の返事を期待せずに朝餉を置くと、主の邪魔をせぬよう小丸がそっと立ち去ってゆく。その困ったような心配そうな表情に身をつまされ、ヒカルはハァとため息を吐いた。
     母さんごめん。オレもきっとあんな顔させてたんだろうな……
     脇目もふらず、佐為は盤面に集中したままだ。

    「──いいのか、こんな朝から晩までオレと一緒に碁ーばっか打ってて?屋敷にいた人たちも、気味悪がって出てっちゃったし……一応、お前にも世間体とかあるだろう?」
    「構いません」
    「オレの方は魂だけだから問題ないけど、お前は生身の体なんだからさー。ちゃんと食って寝ないとダメじゃん。小丸を心配させたら可哀想だよ。身体だって、食っとかねえと対局まで持たねえぞ?(ちぇっ、マジ母さんか倉田さんみたいな台詞になってきたぜ……)」
    「それもそうですね。では朝餉をいただくといたしましょう」

     膳の上には、強飯ではなく多めの汁粥が出されていた。これは物を食する時間も惜しむ主が食べ易いようにとの、食事の支度をしている小丸の母の配慮だったが、ヒカルの打つ碁に気を取られている佐為とこの時代の食事事情に疎いヒカルの二人では厨房からの心遣いに気づこうはずもない。
     お粥に汁物に干物か、あまり美味しそうじゃないなァと現代人らしい感想を抱きながら、ヒカルは、上の空で薄切りにした大根を口に運ぶ佐為を眺めていた。ここでは食べる必要も寝る必要もなく、打っていないと暇を持て余してしょうがない。

    「そいや、お前、仕事とか行かなくていいの?」
    「当分の間、御所へは参りません。妖に遭遇したために物忌み中だと伝えてあります。事実そうですから」
    「はあ。その妖と打ってるなんて知れたら……」
     佐為はにっこりと笑った。
    「大丈夫です。物忌み中の屋敷になど、誰も来はしませんよ。誰にも邪魔されずに打つことができて却って好都合です」

     この屋敷に来てから何度目になるか分からないため息をつくヒカル。
     自分ちがお化け屋敷扱いされてるってのに。
     本当に、コイツは碁以外はどうでもいいのか?

     ……オレと打ってくれるのは嬉しくもあるけどさ。
     オレだって、いつ元の世界に戻されるかも分かんないし。

    「さあ、打ちましょうヒカル!」

     箸を置くなり嬉々として盤面に向かう佐為を前に、ヒカルは思う。
     アイツにしてやれなかった分、今度は、ここにいる間は、お前の望むだけ好きなだけ打ってやるよ。いつまでこうしていられるかは分からないけれど。
     いつか来る、その時までは──

     ほとほとと音がして、小丸の声がした。
    「佐為さま~。お客さまです」
    「誰です?物忌み中だとお話ししてお引き取り願ってください」
    「それが……」
     小丸の後ろから、大柄な僧侶が姿を現すと、佐為に向かって笑いかけてきた。
    「妖に憑りつかれたというから心配して来てみれば、存外元気そうではないか」
    「観光どの!」

     ──と、僧侶は眉を上げ、射抜くような視線をヒカルに向けると、錫杖をヒカルの顔面へと突きつけた。

    「うわあああッ!?」
    「ここにいるのか、佐為に憑りついた性質の悪い妖というのは?」
    「「ちょっと待ってくださいッ(待てよ~~ッ)!!!!!」」





     オレの存在が、分かる人がいるなんてなァ……

     錫杖を突きつけられた瞬間は驚いたが、どうも彼にはヒカルの気配は感じられても、姿は見えず声も聞こえない様子だった。今にもヒカルを成敗しそうな勢いだった僧侶は、妖と碁を打っている事情を一通り聞くと、どう納得したのか今は錫杖をおさめ、佐為と一緒に麦茶を飲んでいる。とりあえず、碁を打つだけの妖であれば害はあるまいとのことらしい。

    「お坊さんは、オレの話を疑わないの?」
     ヒカルの言葉を佐為が伝えると、坊さんは複雑な表情をみせた。眉根を寄せ、じいっと、ヒカルの座っている場所、佐為の傍らにある何もない空間に目を凝らす。
    「うむ、一片の疑いもなく信じたというわけでもないがなァ……菅原顕忠ならば、確かにアゲハマを誤魔化すなどという姑息な手を使うのも十分に有り得る。佐為にしても己を陥れた奴への恨みより、碁が打ちたいばかりに顕忠でなく碁盤に憑りつくなぞ如何にもこ奴にありそうな話でな。ハハハ、つい得心してしまったよ」
     貴方は私を何だと思っておられるのかとブツブツ言いつつも、横から口が添えられる。
    「観光どのは有験の僧ゆえ、悪しき気に満ちた場所はそれと分かるのですよ」
     墨染め姿の肩がすくめられた。
    「そんな大層な法力でもない。ただならぬ気があればそれと感じる程度でな。……確かに尋常でない氣を感じるが、悪い氣のようにも思えぬ。このようにはっきり分かるのは珍しいことだが」
    「たぶん、お坊さんの名前のせいじゃないかな?オレの名前、ヒカルっていうから」
    「ヒカルが言うには、自分の名前のせいではないかと」
    「光を観るか、なるほどな」

     旅行会社みたいな名前だけど……

     坊さんはわははと笑うと、出された麦茶を一飲みにした。
     なんだか、倉田さんに似たタイプの人かもしんないと、胸の内でヒカルは思う。

    「さて、そういうことなら、拙僧にも手合せ願おうか?佐為どのがここまで魅入られてしまうほどに、妖どのがそんなに強いのか、私もぜひ試してみたい」
     だから、妖じゃないって……
     面白い碁が見られそうですねと、佐為はいそいそと盤面の石を片付けはじめた。
    「観光どのも碁を打たれるのですよ。私と対等に打てる数少ない打ち手の一人でもあります」
    「といっても、こいつに黒を持たせて勝ったことはまだないがな」
     坊さんは意に介した風もなく、再び豪快に笑った。





    「それはそうと……お前の挙動がおかしいものだから、藤原佐為は顕忠を恐れるあまりに妖物に憑りつかれたのだと、妙な噂が流れておるぞ。妖というよりは神仙の類だろうと答えてはおくが、物忌みもほどほどにしておけ。お主の世情に疎いのも常ならば問題にならぬが、此度は命取りになるぞ」
    「お気遣い申し訳ありません。……心配して来てくださったのですね」
     真顔で対する佐為に、ヒカルは思い出す。佐為はいつも楽しげに碁を打っていたからつい忘れていたけれど、今度の対局には、本当に佐為の命運がかかっているのだ。
     僧侶は佐為に頷いてみせた。
    「まだやってもいないことを咎めるわけにもいくまいが、万一、妖どのの予言の通りとなったなら寝覚めが悪いからな。菅原顕忠との対局は棋譜を記していただくように、適当な方を通じて帝に進言してみよう。名局を後の世に残したいとか理由は何とでもつけられるさ」
     実際、指南役同士の真剣勝負ともなれば、棋譜を見たがる者は多かろうと、観光は微笑んだ。
     佐為は明るい表情となった。
    「感謝します。そうしていただければ、私も何の憂いもなく打ち切ることができます」
     観光は佐為を顧みた。
    「今のお前に勝てる奴がいるとは思えぬがなァ。念のためだ。当代きっての碁の名手をそんな事で失いたくはないからな。それと……」
     ヒカルを探すように、視線がさまよう。諭すように声がかけられた。
    「互いに、あまり深入りせぬようにな」
     その言葉に、ヒカルは気づく。蓋をしていた思いに気づかされる。

     オレはここに長くいるべきじゃない。
     この佐為を悲しませちゃいけない。
     想いが深まる前に、離れ難くなる前に、別れが辛くなる前に、オレは──



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