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    虚空に光は広がり満ちて 5

     

     ひと月以上も経ってチェインバーが帰ってきたのは、謝肉祭の前日だった。

    「遅すぎるよチェインバー!心配したんだからっ!」 
     カイトで舞い降りてくるなり飛びついてきたエイミーの前で、チェインバーはゆっくりと片膝をついた。

     センサーが作動し、エイミーの全身をスキャンする。
     エイミーの最新の生体情報を得ると、チェインバーはデータを更新した。
     成長期の人の体の変化は早い。エイミーは順調な成熟の途上にあって、少尉といた頃に彼女が問題としていた胸囲数値の低さも、リジット船団長クラスには至らなくともベローズに迫る可能性はあると、チェインバーは推測していた。
     胸の大きさはともかくとして、ガルガンティアの住人は、同盟における標準数値と照し合わせると総体的に身体能力が桁違いに高い。知能的には未熟な部分があったとしてもピニオンが証明したように潜在的ポテンシャルは予測不能な高さを示し、極めて優秀な人類の一族であるとの最終評価をAIは下していた。

     エイミーの生体情報を分析するチェインバー。胸囲、体重の数値が共に落ちている。それだけではない。エイミーの生命活動には総じて低下が認められ、予想外の結果にチェインバーは脳内で首を傾げた。原因を特定できない。
     煌めく海のような瞳が嬉しそうにチェインバーを見上げてきた。肩でグレイスがキュイと鳴いた。

    「明日はお祭りなんだよ。あした陽が落ちる頃にお祭りの広場で会おうよ。べベルもチェインバーに会いたがってたから」
    「お祭り、とは?」
    「ほら、チェインバーもレドと一緒に魚を捕ったでしょ。覚えていない?」
     少し寂しげにエイミーは微笑した。魚、という単語にチェインバーは反応をみせた。

    「エイミー、明日は魚を捕る仕事があるか?」
    「たぶんあると思うよ。チェインバーが手伝ってくれたら大漁間違いなしだもんね。ギルド長も喜ぶんじゃないかな」
     巨人はさらに少女に問いかけた。

    「懐疑提言。エイミーの体重が8%減少しているのはなぜか。その急激な低下の理由を問う。病気か?乙女心か?」
     驚いてチェインバーを見つめると、エイミーは慌てて手を振った。
    「チェインバーが戻ってこなくて心配だっただけだよ。少し痩せちゃったかな。うん、丁度いいダイエットだったかもね。でももう大丈夫。こうして帰ってきてくれたからさ」
     翠の双眸が、たしなめるように瞬いた。
    「有為提言。当機に対する心配は不要。また、エイミーは乙女心より健全な肉体の維持を優先するべきである。積極的な栄養の摂取を推奨。標準体重の回復に努められたし」
     エイミーはくしゃりと笑った。
    「心配してくれて、ありがとう、チェインバー。……あ、それとリジットから伝言。今すぐこっちに来るから何処にも行かないでって。それとジョーから。来られるようになったらなる早で来てくれって」
    「了解した」
    「今、配達の仕事減らしてもらってるから。私も少しここで休んでいくよ」
     伺いをたてるように、エイミーは巨人を見上げた。
    「チェインバー。ここに座っても、いい?」
    「許可する。但し、気温の変化に伴う当機の外殻温度の上昇に注意せよ」
    「あはは、焼き肉になっちゃうね。まだお昼前だから大丈夫だよ」

     エイミーの肩から飛び降り、チェインバーの指の上で遊びはじめるグレイス。
     かつて銀髪の少年がそうしていたように膝を抱えて座り込むと、エイミーは風に吹かれつ巨人の踵にもたれて遠く海に目を向けた。

    「……海が綺麗だね」
    「エイミーがそう感じるのであれば綺麗であると推察」
    「好きな人と一緒にいたら、いつもより綺麗に見えるんだよ。チェインバーと一緒にいると、レドと一緒にいるような気持ちになれるからだね」
    「レド少尉はすでに存在しない」
    「……うん。わかってる」
     透けるような微笑が浮かぶ。
    「しかし、ジョーからの提言によれば、当機がレド少尉のデータを保持する限り当機の中に少尉は生きている、とのことである」
    「さすがだね。ジョーってばいいこと言うなあ。──うん。レドのこと覚えている限り、レドは私の中にも生きている」
     少女は染み入るように囁いた。
     
     レドがいないのが辛くて、レドがいない世界で生きていくのが辛くて。
     でも……忘れられなくて。
     あは、レドがいなくなってから自分の本当の気持ちに気づくなんて、私、馬鹿だよね。
     それでも、忘れたくない。忘れたら、私の中のレドは死んでしまうから。

     私も忘れない。忘れたくないの、と。
     半ばひとり言のように繰り返し呟かれた言葉は、誰に向かって告げられたのか。
     巨人の頭が下方へと傾げられ、少女の方へと向けられた。

    「エイミーに問う。貴女は幸せか?」
    「……チェインバー?」
    「当機の中のレド少尉が、エイミーに訊ねている」
    「レドが……そこにいるの?」

     碧い目が見開かれる。
     その目がチェインバーから逸らされ、薄蒼く広がる水平線の彼方へと注がれた。風になびく亜麻色の髪をかき上げながら、エイミーはひどく優しく言った。思いつく限り、愛しい人への最大級の文句を。

    「レドが戻ってきてくれたら、幸せになれるよ」
     頭上から、硬質な声が無情に響いた。
    「少尉が戻ることはない。エイミーの思考は人の健全な精神状態から逸脱するものであり、推奨できない」
    「うん、そうだね」
    「有為提言。少尉に関する記憶がエイミーの幸福を阻害する要因となっているならば、貴女はその記憶を抹消するべきである。忘却は罪ではなく、人が生存し続けるために備わった必要にして不可欠な機能と認識されたし」
     少女は悪戯っぽく微笑すると、逆に巨人に向かって問い返してきた。

    「じゃあ、チェインバーはレドのことを忘れられるの?」
    「初期化し再起動すれば、レド少尉に関するデータの消去は可能である」
    「それなら、どうしてチェインバーはレドのことを忘れないの?」
    「許容外行動だからである。少尉に関するデータの喪失は、当機の存在意義そのものの喪失を意味するが故に、私には容認できない」
     ほらね、と。エイミーは楽しそうに笑った。
    「チェインバーも私と同じなんだよ。大切な人がいなくなったら、生きていけない。……誰かを本当に好きになるって、愛するって、そういうことなんだと私は思うよ」
     翠の目が瞬いた。

    「異議あり。人間ではない当機とエイミーを同列に扱うのは不適切と思われる」
    「そうかなァ?忘れられるのに、忘れないのは、それはチェインバーもレドのことが大好きだからなんじゃないかな」
    「当機には理解不能。当機が感情を理解し、実感することはない」
     少女はうーんと伸びをした。
    「まあ、いっか。自覚がなくても好きってことはよくあるし。チェインバーには解らなくても、私たちには解っているんだからそれでいいよ。……ほら、リジットが来たみたいだよ」


     チェインバーの元に姿を見せたのは、リジットだけではなかった。エイミーは驚いた。
    「ピニオンにベローズも。……オルダム先生まで?みんなでどうしたの?」
    「その方が話が早いと思って。ちょうどいいわ。エイミーも一緒に話を聞いてちょうだい」

     チェインバーに向き直ると、リジットは真顔で言った。
    「チェインバー。貴方が何をしているのか私たちに教えてほしいの。……全部よ」





     穏やかな風と光の中、一人と一機の問答は続いた。
     リジットが質問し、チェインバーが答える。
     他に聞こえるのは鳥の声と波の音、それだけだ。

     少尉の遺命。
     宇宙にあるワームホールの存在。
     宇宙型ヒディアーズが出現しつつある事実。
     二つの異なる生存戦略によって生き延びようとした人類の長きに渡る闘いの歴史。
     クジライカと地球人類との間にある共存の可能性を、少尉が信じていたこと──

     リジットは顔の筋一つ動かさず全てを受け入れた。1年前の自分なら到底信じられないような話だ。だが今はあの時とは違う。チェインバーがどんなユンボロかも解っている。
     リジットはピニオンに目を向けた。

    「ピニオン。もし宇宙のクジライカが襲ってきたとしたら、私たちは何処まで戦えるかしら?」
     修理屋の青年は肩をすくめた。
    「無理だね。単純な計算だ。海から武器になるお宝を引き上げたとしても、せいぜいその火力はブリキ野郎の50分の1程度だ。チェインバー1機に俺たちは全く歯が立たない。宇宙のクジライカはブリキ野郎と互角以上に渡り合える奴らなんだろ?そんな奴らに襲われたとしたら、俺たちには手も足も出せねえ。1匹でも相手にできるか怪しいもんだ。戦いになった時点で、奇跡でも起きない限り俺たちの負けは確実だろうよ。でもって、そいつらと戦ってきたレドの古巣の連中が例の船団の神だったユンボロみたいな奴の集まりだとしたら……つまり、同盟とやらが来たら、俺たちの世界全部があの船団みたいになっちまうってことだ」
     オルダム医師が口を添えた。
    「我々に選択可能な唯一の道は、戦いを避けることだろう。チェインバーの話からすれば、クジライカと争えばその争いには果てがない。その未来図を避けるには、争わずに我々が生き延びることのできる道を模索していくしかない」
    「だから、レドは空の穴をふさごうと……」

     リジットは巨人を見上げた。

    「私たちにできることは何もないの?」
    「ワームホール封鎖については、貴君らにできることは何もない。これは当機が行うべき任務である」
    「また……貴方たちに助けられることになるのね」

     苦い想いが蘇る。結局また、あの時の繰り返しなのかと。
     全てが終わっていたわけではなく、誰も知らないところでチェインバーだけが孤独な闘いを続けていたのだ。誰に助けを求めることもなく、たった一人で。
     茫然と話を聞いていたエイミーが、ふいに言いはじめた。

    「宇宙での仕事が終わったら、チェインバーは戻ってくるの?」
    「否定。作戦を終了した後に、当機がガルガンティアに戻ることはない。ワームホールの破壊によって当機の存在意義は達成され、同時に機体は破壊される」
    「不公平だよ……どうして大昔の人がやってきたことのせいで、レドとチェインバーが死ななきゃならないの?」
    「エイミーとガルガンティアを守るためである。作戦は当機のみが実行可能であり、宇宙型ヒディアーズの出現が既に認められる以上、時間の猶予はない」
     少女の目からぽろぽろと涙が溢れ出た。拭っても拭ってもそれは止まらなかった。
    「……ッ!ずるいよチェインバー。私にはレドのこと忘れろって言ったくせに。自分はレドのこと忘れないで、私たちのためにレドみたいに無茶して、黙って二度と戻って来ないつもりだったなんて……そんなの、ひどい」
     あっさりと答えが返される。
    「少尉の遺志である」
     エイミーの中で何かがぷつりと切れた。相手が人間なら盛大に平手打ちをぶちかましているところだ。
    「チェインバーの、ばかぁッ!!!」

     ぱさり、と。

     カイトで飛び去っていくエイミーを見送りつつ、リジットはため息をついた。

    「エイミーの言ったことは、そのまま私たちの気持ちよ、チェインバー。ワームホールを破壊しなければならない状況は理解したつもりだけど、あなたが無事に戻ってくる方法はないの?」
    「パイロットの不在及び携行装備の喪失により、当機の戦力は本来あるべき性能の70%を下回っているのが現状である。限定解除が可能であれば最大性能を発揮し得るが、解除命令を発することができるのはパイロットであるレド少尉に限られる。現時点において当機が保有する戦力ではワームホームスタビライザーを確実に爆破するに足る火力を持つに至らず、施設既存の自爆装置を利用するのが最も確実な選択肢であると判断した。起爆命令は当機によって行うこととなるため、爆破後の離脱は不可能である」
    「どうしても?」
    「例え離脱が可能であったとしても、レド少尉の存在なくして当機が存在し続けることはできない。少尉から課せられた最終任務を完遂すると同時に私の存在意義は達成され、全機能を停止することとなる」
    「今も、貴方にとってはレドが全てなのね──」

     ピニオンとベローズの顔には、寂しげなほろ苦い微笑が浮かんでいた。どこまで頑固で不器用で融通の利かないユンボロなのか。でもだからこそ……皆チェインバーが大好きだった。
    「あーあ。結局、俺たちは誰もブリキ野郎の心を射止めることはできなかった、ってわけだ」
    「一途な純愛もここまでくると大したもんだね。レドも罪な奴だよ」
    「貴君らの発言の意味不明」
    「ふん。どーせおめえには解らないだろうさ。ま、ここの話が終わったら付き合え。最後くらいちゃんと整備させろや」

     リジットは真摯な表情で背筋を伸ばすと、チェインバーの前に立った。
     言葉がつまった。

    「ごめんなさい。私は、貴方に行くなとは言えない。私たちは……貴方に何もしてあげられない。貴方にも、レドにも何もできなかった」
     チェインバーが答えた。
    「船団長はガルガンティア全体の安全を最優先すべきであり、リジット船団長が当機の行動を容認するのは、船団長として妥当な判断と思料する。しかし、貴君らが何もできないという認識には誤りが認められ、当機はこれを強く否定する。むしろガルガンティアの未来は貴君らの今後の行動方針次第となる故に、心されたし」
    「どういうこと?」
     リジットは眉を上げた。巨人の声が厳かに頭上から響いてくる。
    「レド少尉はエイミーとガルガンティア及び地球人類を守ることを自らの存在意義とした。貴君らの前途に未来が拓かれなければ、真の意味で少尉の存在意義が達成されることはない。ワームホールの破壊は対症療法的処置として貴君らに猶予期間を与えるのみであり、ワームホールの消失をもって全ての問題が解決されるわけではない」
     リジットは頬をゆるめた。その通りだ。
    「私の考えが甘かったようね。……ええ、そうね。わかったわ、チェインバー」
     オルダム医師が答えた。
    「宇宙からのまれびとの全てが、君達のように真直ぐな志を持っていたとは限るまい。私達は君達二人に出会えた奇跡に感謝し、そして……この出会いを心から誇りに思うよ。我々はレド君と君が私達にしてくれたことを決して無駄にはしない。ガルガンティアに残された知恵と力を合わせ、生ある限り、全ての人の未来のために力を尽くすと約束しよう」
     その言葉に頷くとチェインバーは僅かに姿勢を変えた。
    「貴君らと共にガルガンティアに在った時において、少尉はその人生における最大の成果を得た。──少尉が自らの生命を代償として守った貴君らの未来に、私は最大の成果を期待する」
     深く翠に輝く一対の瞳。
     その強い光に満ちた双眸を、ガルガンティアの長は揺るぎなく見つめ返した。
    「精一杯やってみるわ」
     胸が、詰まる。


     でも──これだけは言わせて。
     その未来に、レドと貴方もいて欲しかった。そうしたら……本当に最高だったわ。


     リジットはチェインバーに微笑みかけた。
    「お願いがあるの。貴方の出立の時間を教えてちょうだい。見送りしたい人もいるだろうし、それくらいいいでしょ?」






     ガルガンティアでの時間は40時間ほど残されていた。






     ───39 hours to go:廃墟船にて──


     午後の陽射しが燦々と甲板に降り注いでいた。

    「お、やっと来てくれたか。待ってたぜチェインバー!」
     舞い降りてくるチェインバーを見守りながら笑顔でジョーが手を振る。フローターの駆動音に気づいて集まってきた子供たちが便乗して手を振った。
    「「「「「チェインバー!!!!!」」」」」
    「こらァ!気持ちはわかるが、お前ら仕事の邪魔すんじゃねえよ!」
     難航していた連結器の取り外し作業は、巨人のデフレクター・ビームの一撃であっけなく終わった。
    「さすがだねえ♪」
     俺たちの苦労は一体なんだったんだと頭を掻いて苦笑しつつも、嬉しそうに笑うジョー。

    「それはそうと。1週間後くらいにでかい仕事が入ってくる予定なんだ。来てもらえそうか、チェインバー?」
     返ってきた沈黙に、訝しげな顔で振り返るとジョーは巨人を仰ぎ見た。


     ──チェインバー?





     ───36 hours to go:格納庫にて──


    「よし、これで終わりだ」
     チェック項目が可能な限りオールグリーンになったのを確かめると、プログラムを終了させ、ピニオンはチェインバーから飛び降りた。コンと機体を叩く。
    「そういうことかよ……全く。仕様がないやつだよ、お前は」
    「貴君の発言の意味不明」
    「これ以上はお前次第ってことさ。ま、いい。それだからお前なんだろうしよ」

     じゃあなと、作業着を肩にピニオンは手を上げると歩き出した。
     ああいう拗ね方もあるのかと、つい笑いがこみ上げてくる。
    (プログラムは口ほどに、ってか。訳せば「当機には貴官が必要である」ってとこかな)
     とんだラブコールだぜ。

     ──赤いままのチェック項目はどうしようもない。
     あれはチェインバーがレドのために空けている場所だ。


     見れば、キャットウォークの上で手すりに頬杖をついた姿勢でベローズがぼーっと立っている。女サルベージ屋の顔にある見慣れぬ表情を訝しみ、ピニオンは声を上げた。
    「ようベローズ、どうした?」
    「いやあ、なんでも」
     上の空で気の抜けたような返事がある。
     数時間前の記憶がふと蘇った。当機は貴君らの所見を請うとか言ってたよな、あいつ。マイタに呼び出しくらって聞きそびれたが。
     ピニオンはベローズに訊ねた。
    「そいや、あの後、お前とオルダム先生、ブリキ野郎と何話してたんだ?」
    「え?」
     ベローズは困った様子でどぎまぎすると、答えに窮したように言いよどんだ。
    「ん……ああ。エイミーのことでちょっとね。チェインバーに意見を聞かれてさ」
    「ふーん、何のことでだ?」
    「いや、何でもないよ。ひょっとしたら、いずれ分かるかも。……んー、どうにも信じられないけど、まあ本当にそうなったらなったときで。何とかなるだろ、うん」
    「はぁ?」
    「あいつ、何でもできる奴だとは思ってたけど、まさかあれまでとはねぇ」
    「だから、一体何の話してんだよ???」





     ───35 hours to go:連結アーム上にて──


     夕闇の迫る頃、連結アーム上に立つ巨人の頭上に影が走った。
     風切り音とともにカイトが現れ、エイミーがアーム上に降り立った。
     翼を折りたたむと、怒ったような表情で、チェインバーを睨みすえる。

    「さっきはごめん。でも悪いのはチェインバーなんだからね。私や皆の気持ちも考えないで宇宙に行っちゃうんだから」
    「謝罪する。だが当機の作戦行動の変更については容認できない」
    「わかってる。……チェインバーが行かなきゃいけない理由もわかってる。わかってるけど……」

     泣くまいとしていた顔が溶けてくしゃくしゃに崩れた。

    「いっちゃいやだよ、チェインバー」
    「その希望は受諾できない」
    「じゃあ、私も一緒にいく」
    「容認できない。その行動選択が不可能であることはエイミーも認識していると推察」
    「だったら……ちょっとくらいここで泣いてもいいでしょ?もうそんなこともできなくなっちゃうんだから」
    「許可する。エイミーの精神状態が安定するまで感情を発散することを推奨する」
    「う…ッ………」

     無言のままにチェインバーを両手一杯に抱き締める。
     滑らかなその機体が、宥めるようにひんやりと少女の頬に触れた。 

     泣くだけ泣いて落ちつきを取り戻すと、チェインバーに頭を凭せかけ、エイミーは呟いた。
    「本当はさ、泣いたりしないでちゃんと送り出してあげないといけないのに。……だめだね、私って」
    「否定する。適度な感情の表出は健全な精神状態の維持に必要な処置であり、問題ない」
     気落ちしたように、悲しげに少女の口から笑みがこぼれでた。
    「いっつも守られてばかりでさ。レドにも、チェインバーにも。私も……レドを守りたかったのに、守れなかった」
    「少尉の生命を失わせたその過失について、責任の全ては当機にある」
     胸の痛みに俯くエイミー。
    「──ごめん。レドがいなくなって辛かったのは、私よりチェインバーだよね」
    「当機がパイロットの保護に失敗したのは事実であり、謝罪は不要である」
     エイミーは頭を振った。
    「でも、チェインバーはレドのためにずっと頑張ってきたじゃない。レドに何もしてあげられない私とは大違いだよ」


     ───────。


     突如として辺りを支配した静けさに、エイミーは後ろを振り返った。
    「チェインバー?」

     夕空にはいつしか星が輝きはじめ、巨人の姿は残照の消え逝こうとする昏い海に溶け込んでいた。澄んだ潮風が、エイミーの頬を過ぎる。
     時が止まってしまったかのような沈黙の後、答えがあった。

    「エイミーがレド少尉のために何もできないとの認識には誤りがある。少尉の存在意義を達成するために、当機には不可能であるがエイミーには可能な試みが存在する」
    「え?……私にできることって?」
     不思議そうに巨人を仰ぎ見るエイミー。
    「……これは医学的所見により実行可能と当機が判断するものであるが、極めて異例かつ必ずしも成功するとは限らない提案であるため、エイミーの慎重な判断を請うものである」
     闇に光る翠の双眸が、エイミーを凝視する。
     天から降るように、巨人の声がアーム上に響いた。



    「エイミーに問う。貴女はレド少尉の遺伝子を持つ者の出産を望むか?」






     ───22 hours to go:漁業船上にて──


     翌日。船団はいつにもまして活気に満ち、ガルガンティア全体が祭りの準備に沸き立っていた。天気は文句のつけようもなく晴れ渡り、青い海は朝の光に美しく煌めいていた。

     めぐり銀河を見渡せる船団の一角に漁業船と水産加工船が集結している。その上空を一巡りし、そのうちの一隻に狙いを定めると、フローターの駆動音を響かせながらチェインバーは船上に降り立った。
     着艦と同時にズシリと揺れる甲板。視覚センサーによりサンバイザーをつけた人影を捉えてギルド長と識別すると、チェインバーは大男に話しかけた。

    「提言。当機は漁業任務を志願する」
    「ハハハ、待ってたぜ!よく来たな」

     ギルド長は腕を組みつつ白い歯をみせて笑うと、感慨深げにチェインバーに語りかけた。
    「この前に漁を手伝ってくれたときは、坊主も一緒だったな。お前ら単独だとどうしようもなかったが二人揃ってれば百人力だった。……今は坊主の方はいないが、お前さん、大丈夫かい?」
     チェインバーは答えた。
    「漁業任務遂行のために必要なデータは、前回の任務達成時において既に収集済みである。また、現在の当機においては、レド少尉の操縦技能及び思考パターンを解析し、自律機能プログラムを最適化する作業を完了している」
    「ああ?」
     訝しげな表情で眉根を上げるギルド長。
     チェインバーは平易な言葉で言い直した。
    「現在の当機は、レド少尉が搭乗している場合に近い状態での単独行動が可能である」
    「つまり、見えねえがお前さんには坊主がついてるってことだな」
     そうかそうかと目を細めてしんみり笑うと、ギルド長はチェインバーの機体を豪快に叩いた。
    「よっしゃ!じゃあ、頼むぜお二人さん」

     海を見渡せば、めぐり銀河の黒いリング状の帯が広がっているのが見える。
     ざぶんと黒い機体が海に投じられ、海面に水しぶきが煌めいた。
     《レド少尉》がチェインバーに指示を出す。
    (静かに、ゆっくり進むんだ、チェインバー)
     エネルギーリングを輝かせながら、めぐり銀河へと入っていくチェインバー。
     魚たちを驚かせないよう、微細にコントロールされた機体は、軽やかに海中を進んでいく。緩やかに重力波を発しながら群れの中へと突き抜けていくチェインバーに、魚たちが引き寄せられ巻き込まれるように集まってくる。

     潮風に髪をなびかせながら船べりで漁の様子を見守っていたベローズが、ピニオンにぽつりと言った。
    「ああしてると、本当にまるであいつが戻ってきたみたいだな……」
     相好を崩して口元を緩めるピニオン。
    「ま、すり身の山ができる心配はなさそうだ」

     仲間のユンボロたちと呼吸を合わせると、チェインバーは甲板へと躍り出た。溢れんばかりの魚が波間に煌めき、船上にいる人々の間に笑顔が弾ける。
     ギルド長が上機嫌で通信機を手にとった。
    「こちら漁業ギルド。今回の祭りも大漁間違いねえぜ、船団長!」

     その光景はかつて祭りの日にみた「人機一体による空飛ぶユンボロ漁」の完全なる再現だった。




     ───12 hours to go:作業船上にて──


    「チェインバー、一体どうしちゃったの?」

     夕方、祭りの広場に行く途中でエイミーとべベルの目に入ってきたのは、予想外の巨人の姿だった。作業船の甲板に仰向けに寝かされたチェインバーが大勢の人たちにデッキブラシでこすられている。
    「ほら、動いちゃダメだって。もうすぐ終わるから」
     二人の姿を認めて頭を向けようとした挙動を、すかさずおかみさんに窘められ叩かれる。
     心なしか当惑したような様子で、仰向けになったままチェインバーは二人に答えた。

    「当機にも不明。当機を洗浄しようとする意図があるものと推察するが、この状況の必然性を問う」
     そっか、とエイミーが右手を顎にあてて微笑んだ。
    「今日はチェインバーのおかげで大漁だったでしょ。なにかお礼がしたいって船のみんなで相談してたから、きっとチェインバーをきれいにしてあげようって話になったんだよ。漁の後で体も鱗だらけだっただろうし」

     納得いかなさげに巨人の目が明滅した。

    「当機には放射線や有害物質への対応も含めた自動洗浄機能が備わっている。水生生物の残留物質が不快であるなら即刻除去することも可能」
    「いや、そういう意味でなくてさ。単にみんなチェインバーに何かしてあげたいんだって」
     エイミーとべベルは、困り顔を見合わせて苦笑した。
    「私たちはチェインバーにいろんなことをして貰ってきたけど、逆にチェインバーにしてあげられたことってあまりないから。……ま、今日のところは大人しく身体を洗わせてあげてよ」
     べベルが言い添えた。
    「つまり、みんなチェインバーに “ありがとう” って伝えたいんだよ」
     心配と期待の入り混じった二対の瞳が巨人に向けられる。

     ちゃんと伝わってるかな。非効率的行動とか言うかなあ?

     チェインバーは非効率とは言わなかった。
     必然性について理解したと告げると、チェインバーは機体の上を動きまわる人たちのされるがまま船上に横たわっていた。その磨き上げられた機体からは、魚ではなく花のような洗剤の香りが漂ってきていた。




     ───11 hours to go:祭りの広場にて──


     夜店の灯に次々と明りが点る。何か食べるものを買ってくると言って屋台の方へ駆けていくエイミーを見送ると、立ち並ぶ屋台の外れの広場の隅で、べベルは巨人と一緒に座っていた。
     チェインバーの姿を見つけた子供たちが大勢近寄ってくる。
    「何をしてるのチェインバー?」
    「待機中である」
    「じゃあ、遊ぼうよ!何かお話ししてチェインバー?」
    「当機には児童教練用支援啓発メニューは用意されていないため、貴君らの要望に応えるのは困難である。当機の機体利用については一時的にこれを許可する。安全に留意せよ」
    「???なんていったの、チェインバー?」
     苦笑しながら、べベルが通訳した。
    「お話はできないけどチェインバーに乗って遊んでもいいってさ。ただし怪我しないように気をつけて、って言ってる」
    「ほんとに?」

     楽しそうにチェインバーに絡みついて遊ぶ子供たちの姿を、べベルは少し羨ましそうに眺めた。チェインバーは恰好いい。触って言葉を交わすだけで胸がときめくのはべベルも同じだ。自分もあんな風にチェインバーの肩や頭に乗れたらと思う。チェインバーといえば、子供たちが落ちないように身動ぎひとつせず固まったままだ。

     黒い機体に手を触れる。こうやって隣に座れるのが今日で最後だなんて信じられない。
     いつまでもこうしていられたら良かったのに───

     お祭りのお菓子が広場で配られ始め、子供たちが群がっていく。
     チェインバーにぶら下がっていた子たちも行ってしまい、二人きりになると、べベルはそっと巨人に訊ねてみた。

    「チェインバー、また宇宙に行くんだね」
    「肯定する」
    「──もう戻ってこないの?」
    「肯定。宇宙での作戦終了後、当機がガルガンティアに帰還することはない」
    「……そう。いかないで、って言ってもだめなんだよね」
    「肯定。当機の行動方針に変更はない」

     ──と、その時。
     一瞬にして真っ白になる空。海から天に向かって巨大な閃光が走り抜け、数秒後、凄まじい轟音が世界を引き裂いた。びりびりと震える大気が身体中に感じられる。
     ……夜の静けさを取り戻した世界に。
     緑に淡く輝く光のカーテンが、幾重にも夜空に揺らめきはじめた。
     幻想的に、天空に流れる光の波を見つめながら、べベルは言った。

    「前にオルダム先生と話してたことがあるんだ。光の帳の向こう側の話。宇宙からも光の帳は見えるのかなって」
     チェインバーは答えた。
    「光の帳。ヒカリムシからの放電により生成されたプラズマが電離層へと高速にて上昇し、大気粒子と衝突する際に生じる発光現象。宇宙空間からも光の帳の観測は可能」
     引き込まれるように、少年は巨人の言葉に耳を傾けた。
    「宇宙からも、光の帳は見えるんだね。ガルガンティアでは死んだ人の魂は帳の向こう側に行くって言われているんだ。レドの魂も帳の向こう側の宇宙にいるのかな?」
    「不明。当機は魂を感知するセンサーを有しない」
     好奇心を揺さぶられ、べベルは訊ねた。
    「宇宙ってどんなところなの?」
    「宇宙は人間の生存できる場所ではない。重力も、呼吸可能な大気も水も存在しない死の空間である」
    「……寂しいところだね」
     巨人は言った。
    「地球の衛星軌道上には、かつて人が居住していた施設が存在したと推定される」
    「昔みたいに人が宇宙までいけた時代には、きっと宇宙も賑やかだったんだろうね」
     少年は夜空を仰いだ。
    「宇宙からも光の帳が見えるなら、宇宙から見た帳の向こうって地球になるよね。いつか僕たちが空を飛べるようになって宇宙が賑やかになるまで、レドもガルガンティアに戻ってくればいいのに……」

     そんな寂しい世界にいるくらいなら僕たちと一緒にいようよ。
     宇宙でレドを見つけたら、二人で戻ってくればいいよ、チェインバー。
     
     それにしても、宇宙ってやっぱりどんな風なんだろう? 
     瞳を輝かせながら、べベルは巨人に問いかけた。
    「ね、”じゅうりょく”って、何? それがないってどんな感じなのかな?」
    「重力とは、地球上においては、物体が地球に引き寄せられる現象及びその『力』の呼称である」

     ブンと。チェインバーの頭上に薄暗い球体と光の環が現れる。
     続く沈黙。

     不意に──
     べベルは自分の体が、ひどく軽く感じられるのに気付いた。
    「……チェインバー?」

    「な、なにこれ?」
    「なんだ!何が起こってるんだ!?」

     べベルだけではない。広場にいた大人も子供も、お菓子も玩具もなにもかもが。
     宙に浮きはじめていた。
     驚き慌てふためく人々を前に、チェインバーが淡々と言葉を紡ぐ。

    「広場一帯の重力を調節し徐々に減少させた。現時点で概ね0Gに到達。いわゆる無重力という状態である」

     狼狽する大人たちに構わず、思いがけない出来事に子供たちは大はしゃぎだった。
     幸いなことに、この異常現象は屋台の方までは及んでいないようだ。

    「なによこれ~!!」
    「姉さん!」

     つんのめるような恰好でエイミーがべベルたちの方へと漂ってくる。手にしたスープとワカメパンを必死に確保しようとしているが上手くいっていない。

    「ああんダメッ!お椀からスープが出ちゃう出てくるっ!!どうしようっ」
    「無重力状態では、液体は界面エネルギーを最小とするため球形となるものである」
    「体が止まらない~~ッ!!」
    「その程度の加速度であれば心配の必要はない。安全性については当機が監視している」
    「きゃっ」

     チェインバーまでたどりつくと、エイミーはやっと止まった。はね返りそうになったエイミーを守るように大きな手がそっと差し出され、エイミーは慌ててチェインバーの指に縋りつくと、べベルに足を捕まれ引き戻された。瞬間、チェインバーを見つめるエイミー。

     少年は心を奪われたように、何もかもが宙に浮いて混乱しきった世界を見回した。
     胸がドキドキする。ひょっとしたら後で具合が悪くなるかも、ああ、だけど今はそんなことはどうだっていい。
    「そしたら、今なら僕も空を飛べるんだ?」
    「軽く地面を蹴るとその方向に進んで止まる。何もない空中においての移動は困難であるため注意されたし」
    「わかった」

     少年はそっと地を蹴ると、チェインバーの機体に手を沿わせながら空中へと漂いでた。
     夜空を仰ぎ見れば、揺らめく光の帳の向こうに星々が輝くのが透けて見える。
     チェインバーの肩までたどり着くと、動きを止めようと少年は巨人の頭にしがみついた。宙に浮いた状態で力を抜くと、べベルは目を閉じて全身の感覚を研ぎ澄ませ、上も下もない、体を地に縛り付けていた力からの解放感に浸った。

    「これが、宇宙……」

     広場では、チェインバーの仕業と気づいた子供たちが、巨人に向かって空中遊泳を始めていた。
    「いっちばーん!」
    「着いたー!」
    「わー押すなって!」
     次々とゴールした子供たちに埋もれ、少年少女たちの笑い声と悲鳴で騒然となるチェインバー付近。興奮のるつぼの中で、他の少年たちと一緒に手を取り合い押し合いもみくちゃになりながら、声を上げてべベルは笑った。

     程なくチェインバーは重力を戻しはじめ、180秒後には広場は元の1Gの世界に戻った。
     チェインバーの悪戯として語り継がれたこの夜の不思議な出来事は、忘れ得ぬ夢の一時としてべベルや多くの子供たちの記憶に長く残った。







     祭りの喧騒が終わると、再び連結アームの上に戻った巨人は、夜の静けさの中にひっそりと立ち尽くしていた。
     カイトの翼が空を切る音が闇に響く。
     着地と同時に、編み込みを解かれた髪がさらりと肩に落ちる。碧い宝石を炎で溶かしたような瞳がチェインバーを見つめた。恥じらいつつ決意を込めた表情で、巨人の前に立つエイミー。
     夜風に、軽やかにポンチョが揺れた。伸びやかな肢体が闇に透けて見える。


    「──チェインバー。決めたよ、私」


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