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    Gate of the Dragon(中編)

     


    「さーて。これで設定終了っと。いつでもネットできるぜ」
    「助かったぜ。ありがとな、和谷」
    「この礼は寿司食い放題ってことで♪ 期待してっからな。いい店連れてけよ」
    「ちぇっ。しっかりしてんなァ」


     家でネット碁したいんだけどパソコンとかどうしたらいいのかなと、進藤から相談を受けたのは、ヤツのお籠りが明けた5月の末頃だった。

    「店だと時間の融通も利かねェしゆっくり打てないだろ。部屋にオレ専用で一台置こうと思ってさ」
    「そうだな……無線だと対局中に通信が切れたりすることもあるし、金に余裕あんなら回線増やした方がいいかもな。税金の申告ん時も家族が使ってる分と按分しなくていいしさ」
    「……何言ってんのかぜんぜんわかんねー」
    「お前なァ。少しは碁ー以外のことも知っとけよな」

    (心配はいらねェな。いつもの進藤だ)

     毎年5月のことだったが、進藤には極端に付き合いの悪くなる時期がある。顔を見るのは手合い日だけで、森下先生の研究会にもオレのアパートの研究会にも来ない。仕事も極力受けない。どうやら塔矢とも打っていないらしい。年に一度、定期的に発症する悪い病気がぶり返したかのように、進藤は家に閉じこもって姿を見せなくなる。2年前の春には、北斗杯での敗戦のショックで進藤がまた打てなくなっちまったのかと不安になったものだった。

    (おい、みんな心配してたんだぞ!一体なにやってたんだ?)
    (んー。碁ー打ってた)
    (打ってたって……?一人でか?)
    (一人か……そうだな)
     少し痩せたように見える進藤の顔は、半分しか笑っていない。
    (悪かったよ。だけどオレにはこうすることが必要なんだ。……打っていくためにさ。心配はいらねェよ)

     この時期がヤツにとってのマイルストーンなのか、5月を境に進藤は棋力を上げ、一つ上の新しい世界の扉をこじ開けていってるように感じる。たぶん伊角さんの言う通りなんだろうと、例年の進藤の奇行を、今ではオレもあまり気にしないことにしていた。

    (プロ試験に落ちた時にオレにもあったが……一人になって自分の碁を見つめ直す時間が進藤には必要なんだろうよ)

     つーか。
     心配しなきゃなんねェのはむしろ自分のことだ。碁打ちとしての力を言えば、オレは進藤にだいぶ水をあけられちまっている。越智じゃないが、進藤を気にするよりまず自分なんだよなァ……。


    「じゃあ、早速やってみるか」

     窓際のカーテンが揺れている。梅雨入り前の青空が見え、吹く風が気持ちよかった。
     進藤がパソコンをいじってる間、オレはコーラを飲みつつ足を伸ばして寛ぎながら部屋の中を見渡した。
    (奈瀬がきたら「進藤、彼女いるんじゃない?いつ女の子連れてきてもバッチリじゃん」とか言いそうだな)
     意外に片付いているというか、部屋の隅に碁盤と碁石があるきりで、囲碁関係の本や資料はそれほど多くない。プロ棋士の部屋の匂いがあまりしなかった。面倒がりのコイツのことだから、棋譜やら何やらで散らかってんじゃないかと想像してたんだが……

    「お前、棋譜整理とかどうしてたんだ?パソコンでやってなかったんなら、資料とか置き場に困っただろ」
    「整理するほど沢山あるわけじゃないからなァ。棋院や図書館で借りた資料は返すしさ」
    「返すって、メモとかコピーとか取っておかないのかよ?後で並べるときどうするんだ?」
    「いいんだ、覚えてるから」
    「覚えてるって……全部かよ?」
    「なに言ってんだよ。和谷だって一度打ったり見たりした棋譜は覚えてるだろ?」

     確かに自分の打った碁や、話題になった棋譜や印象に残った棋譜は覚えてるけど……
     背筋に冷たいものが流れた。
     あまり知られていないが、進藤は棋院や出版部の資料室を利用する常連の棋士となっているらしい。海外や他のルートからの情報も含めて、過去から現在に至る大量の棋譜を読みこなしている。必ずしも記憶している棋譜の数と棋力が比例するわけじゃないとしても。
    (コイツ、どんだけの棋譜を覚えてんだ?)

     以前に、進藤と塔矢の強さについて話をしたことがある。

    (アイツの性格からくる勝負強さもあるけど、いろいろ経験の差もあると思うんだよな)
    (経験?そりゃまあ、塔矢は2歳んときからトップ棋士の親父に仕込まれてプロ棋士にもまれて育ってるからな)
    (結局のとこ、場数を踏むしかねェんだよな。一局でも多く強いヤツと打って、一局でも多く棋譜を並べるしかないんだろうけど。塔矢とは3倍、アイツとは200倍の差か……時間、足りねーなァ)
    (なんだって??)

     進藤は、過去の棋譜から石の並びだけでなく相対している棋士の間にある場の空気までも読み取り、自分のものにしようとしているのかもしれない。
     入段から3年の熟成期間を経て、公式でもプライベートの対局でも、進藤はミスらしいミスをしなくなった。進藤の打った碁は、プロ棋士の間でも棋譜研究に取り上げられることが多い。相手がトップ棋士だろうが自分の打ちたいところに平気で新手をばんばん打っていって結果負けた碁も幾つかあったが、決して内容は悪くなかった。むしろそのほとんどが、ワクワクするほどの面白い碁だった。

    「久しぶりだなァ。わーるどいごねっと、と」
    「そいや、お前と知り合ってからネット碁やってるって話は聞かなかったな。院生になる前にはやったことあるって言ってたよな」
    「うん。お店でちょっとだけな」
    「勝率はどうだったんだ?」
    「……んー。忘れたなァ」
    「プロになったんだし、どのみち時効だろ。今のお前なら軽く打ってもそんじょそこらのアマチュア相手に負けねえだろうしな。プロと分からないからってあまり素人をいじめるなよ」
    「そんなことしねーよ」
    「アマだって稀にsaiみたいな化けもんもいるし、一柳先生とか中韓のプロが隠れてることもあるしな。油断してるとやられるぜ」
    「……そうかなー」
    「saiか……懐かしいな。お前、店で会ったって言ってたっけ。塔矢先生との対局以来姿をみせねえけど、どうしてんだろうなァ」

     不器用な手つきで進藤は文字を入力している。これじゃチャットはしばらく無理だろう、今度はキーボード操作の練習の方法を教えてやんないといけないかなと、オレは苦笑いした。

    「和谷、プロ棋士でネットやってる人のハンドルネーム知ってる?知ってたら教えてくれよ」
    「オープンになってる人のは何人か知ってるけど……お前、プロと打ちたいのか?」
    「プロでもアマでもいいよ。強い人なら誰とでも」
    「おい、進藤……?」

     立ち上がって、パソコンを覗きこんだ。
     進藤は、ちょうどハンドルネームを入力して、登録し終わったところだった。


     国内用:進藤ヒカル
     海外用:shindo


     オレは目を剥いた。

    「なにィ!お前、本名で打つ気なのか!」
    「うん。いけない?塔矢先生も一柳先生も本名で打ってるじゃん」
    「やめとけ!考えてもみろよ。プロに勝ったら時と場合によっちゃ相手に恨まれるし、プロでもアマでも負けたらあっという間にネット上にその情報が広がっちまうんだぞ?下手して負けたら恥ずかしい上にバカにされんだぞ!」 
    「いいんだ。オレ、負けねえから」
    「おい、進藤~~~ッ………☆%&$!!!」




     □□【オランダ】□□

    「ダメだ……どうしようもない。ここまでか」

      ──resign──

     クリックして投了する。
     あまりの大敗に、悔しさよりはむしろ清々しいまでの驚愕の念に私の心は満たされていた。
     こんな気分になったのは、彼に負けた時以来だ。
     5年前にいっとき現れ、ついに正体の分からぬままに姿を消した、幻の打ち手。今では半ば伝説と化しているネット最強の棋士の名を私は想い起こしていた。
     興奮の冷めやらぬ頭でコーヒーを淹れ、砂糖とミルクを入れていると電話がかかってきた。

    「(やあ、フランクか?)」
    「オーイェルさん」
    「(見ていたよ。オランダ随一の棋士たるキミがすっかりやられたな)」
    「ええ。手も足もでませんでした。ネットでは初めて見ましたが、名前を聞いたことがある気がします。彼は日本のトッププロに間違いないですよ。私の首を賭けてもいい」
    「(ハハハ……彼が誰だか気にしているだろうと思って、キミが打っている間に情報を集めておいたんだ。キミの言うとおり、今度の打ち手はすぐに正体が分かった。ハンドルネームはそのまま本名だったのでね。『shindo』は日本のプロ棋士だ。まだ17歳の若者だが、日本の若手棋士の中で一、二位を争う棋力の持ち主だそうだよ)」
    「やはりそうですか。……私は運がいい。コテンパンにやられはしましたが、あれほどの打ち手と対局できる機会は滅多にありませんからね」
    「(プロ棋士が遊びでネットに現れるのは珍しくないが、噂ではこのところ『shindo』は日本時間の夜に現れることが多いらしい。いつまで続くか分からんがね。彼の対局を観戦したければ午後に網を張っていれば会えるかもしれんよ)」
     ふと思いついて、私は訊ねた。
    「ところで、彼のプロフィールをご覧になられましたか?『shindo』は碁を始めて何年になると?」
    「(囲碁歴5年とあるな。12歳で碁を覚えて2年でプロになったそうだ。驚異的な速さだね)」
    「ありがとう、オーイェルさん」

     電話を切ってコーヒーをかきまぜながら、私は思わずニマニマと頬を綻ばせた。
     彼の打つ碁がまた見られる。相手次第では運が良ければ「toya koyo」対「sai」並みの名局を観戦できる可能性もある。あれは最高だった。
     力の差があり過ぎて「shindo」の棋力は私には計れそうもないが、仮にも私はオランダのアマチュアNo.1だった男なのだ。アジアのプロ棋士相手に勝ったことも一度や二度ではない。その私にそう感じさせるほどの圧倒的強さを、彼は持っていた。私は首を傾げた。
    (それにしても、散々に負けたというのになんでこんなに楽しいんだろうな)

     あァ、そうか。
     理由に思い当たると、私は喉の奥で笑った。
     
     彼が、本気で打ってくれたからだ。

     ネットの向こうにいる誰とも分からない棋士。彼はその私に敬意を表して、手加減せずに打ち切ってくれたのだ。力の差があると分かっても、途中で指導碁に切り替えたり手を緩めたりするようなことはせず、最後まで真剣に勝負してくれた。例えばtoya名人その人と相対しているかのように。
     直に彼と打った私だから分かる。遊ばれたのではない。力を誇示しようと強い者が弱い者を弄んだのではない。彼が打ってきたのは、おそらく全てが最善の一手だった。あれは手慰みの対局として打たれた碁ではなかったのだ。

    (ああああ、惜しかった。そうと気づいていれば、最初から全力で盤面に向かったのになァ)
     そうしたら、もうちょっと……
     私はため息をついた。
     ……どう足掻いてもマシにはならなかっただろうが。

     私は少し残念に思った。
     碁を始めて5年なら、shindoはsaiではない。国際アマチュア囲碁杯でsaiが子供かもしれないと言っていた子がいた。盤上を完全に支配され、打つ手の全てを見抜かれているような感覚。ノータイムで放たれてくる最強の一手。ひょっとしたら彼がsaiかもしれないと、心の何処かで期待したのだが───

    (saiが名前を変えて出てくる理由もないし、想像はここまでだな)

     いずれにしても、楽しみが増えたことには違いない。
     コーヒーの入ったマグカップをデスクに置き、囲碁仲間にこの情報を伝えようと、私は再びパソコン画面に向かった。




     □□【中国】□□

     パソコンを囲んでいる面々から、嘆息が漏れた。
     
    「王が投了した。これで7人目か」
    「やってくれるなァ。この調子だとヤツに黒星をつけられないまま勝ち逃げされそうだな」
    「楊海さん、感心してないで自分も打ってみたらどうです?」

     お前も棋士だったら人に頼らず自分で打てよと心の中で舌打ちしながら、オレは笑ってその無責任発言を軽くかわした。

    「おいおい、リーグ戦の真最中なんだぜ?こちとら若くないんだ。ネット碁に使う体力があったら、その分ソフト開発の方に回したいね。あっちはガチで勝負しに来てるんだ。半端に打つくらいなら打たない方がマシってもんさ」
    「日本でも棋戦の最中でしょうに、よく続いてるというか。何考えてんですかね、進藤は」

     打った数は200局近くになるかな……。USBメモリに棋譜を保存しながらオレは彼のこれまでの対局を脳内で反芻してみた。

    「単に目新しい相手と打ちたいだけなんじゃないか。持ち時間は平均20分、最長1時間。承諾するのは互先だけ。手加減なし。相手を選ばないが一度勝った相手とは基本やらない。例外として、プロもしくはプロ級の相手から対局を申し込まれた場合には何度でも再戦OK。……まだ一度も負けていないというのが驚きだがね。ハンドルネームじゃ全部は分からないが、棋譜からするとうちだけじゃなく韓国辺りのプロも混じっているようだからなァ。それもおそらくは高段者だ」
    「うはー。進藤って、そんな強かったかな?」

     彼がネットに現れたことに気づいたのは、二か月ほど前だったか。
     それ以来、気まぐれに時折り思い出しては、オレは彼の対局を観戦してきた。
     ネットで碁を打つプロ棋士は増えてきたとはいえ、一元の得にもならないネット碁を頻繁に打つヒマ人はそういない。
     進藤は、この2年で日本人棋士の5本指に入るくらいの棋力を持つまでには成長している。過去の諸々の経緯からヤツが少し気になる棋士の一人だったのと、プロ棋士の対局なら開発中の囲碁ソフトに入れるデータのネタがあるかもしれないという聊か短絡的な動機から観察をはじめたわけだが……観戦を続けるうちに、彼の石の流れにオレは何処かひっかかるものを感じるようになっていた。

    (秀策が現代に蘇ったような、ネット上の無敗の棋士か)
     正体がプロと分かっているせいで5年前ほどの騒ぎにはなっていないが、この状況はsaiがネットに現れた時とよく似ている。
     進藤の経歴や棋譜からして、ヤツがsaiではないのはハッキリしているが……
     考えつつ、オレは指先でペンを回した。

     進藤の打つ碁にsaiを感じるのは、秀策が接点となっているからだ。北斗杯での高永夏との一件からしても、進藤が秀策に傾倒しているのは間違いない。彼の打つ碁に秀策の影響が垣間見えるのは必然の結果だろう。
     加えてオレの関心を惹いたのは、彼の打ち筋にある「解からなさ」だった。読み難さと言い換えてもいい。
     彼が時々みせる、同じ人間がここまでガラリと発想を変えて打ってくるのかという一手。
     何十手、何百手と先を読み続けるうちに、知らずと自分の考えた筋に捉われ過ぎて別の筋を見落とすことは、トップ棋士でもままある。どんな局面に遭っても常に客観的な視点を保って打つというのは、口でいうほど容易いことではないのだ。意図を外され打つ手に窮する場面で進藤が見せる「ここしかない」という好手は、まるで第三の目が盤上を俯瞰し、彼に打つ手を教えているかのように思えることすらあった。

    「うーん。オレのカワイ子ちゃんになら、どうさせたものかな」
    「まーた楊海さんが開発している囲碁ソフトの話ですか?アレならどんなプロだって勝てますよ」
    「ちゃかすんじゃねーよ。オレは未来に向けて構想してんの。以前に比べて、進藤は序盤から中盤にかけての形勢判断が格段によくなったな。コンピュータ囲碁的に言うと評価関数の精度が底上げされて棋力が増したってことだ。その広く深く正確な読みに裏打ちされての、新手にトラップに空中戦だ。ネット上の対局は全て、ヤツに読み負けた結果といっていいだろう」 
    「そんな買い被ることもないんじゃないですか?全勝してると言っても所詮ネット碁なんですし。世界的レベルから見れば彼はまだまだでしょう」

     なら、お前が打ってshindoに黒星をつけられるか?と、オレは意地悪く思った。負けていないということは、まだ底が見えていないということだ。このオレにしても果たしてどうだろうか。負けるつもりもないが、必ず勝てる気も正直しなかった。
    (何の得もない石を攻めるのはオレの流儀じゃないし。万が一の話としても、こんなところで負けたら損だしなァ)
     オレは肩をすくめた。
    「まあ、そのうちに分かるさ」

     人間の最大の敵は先入観てヤツだな。
     その点、コンピューターは素直でいい。何の打算も偏見もなく純粋に最善の一手を探求する存在は、余計な雑念とは無縁の境地にいる。そう遠くない未来に、最強の打ち手となるのは人でなくコイツらだろうとオレは信じている。
     囲碁の力量は、国籍じゃなく個人の資質が全てだ。日本人はレベルが低いと侮ってると後で痛い目を見るかもなと、冗談ともなくオレは考えた。

    「少なくとも、進藤が強くなっているのは間違いない。昨年の北斗杯では、副将で一勝一敗。一昨年の北斗杯では、今シーズン世界の頂点に手を伸ばそうとしている高永夏を半目差にまで追い詰めている。子供の大会だがその実績はダテじゃないってことだな。進藤が本物なら、近いうちに国内戦を勝ち抜いて国際棋戦に姿を現すだろう。この強さが世界に通用するか、その時にヤツのお手並みをじっくり拝見しようじゃないか」

     塔矢先生は、何処かで彼の対局を見ているのだろうか。
    (saiとは打てなくとも、saiの力を受け継いだかのような棋士とは、いずれ打てるかもしれませんよ、先生)

     「toya koyo」対「shindo」ね。
     ……面白い対局になるかもな。

     北斗杯での遣り取りが脳裏を過ぎり、オレは心の奥底で小さく口笛を吹いた。




     □□【韓国】□□

    「で、進藤と三回打って、三回とも負けたんだな」

     秀英はコクンと頷いた。
     悔しげに切れ長の目がさらに細められるのを、オレは笑うでも慰めるでもなく少々呆れて見ていた。このクソ暑い夏の最中によくもここまで熱くなれるものだ。
     秀英が進藤をライバル視しているのは知っているが、負けたといってもプライベートでの対局だ。秀英は北斗杯でも国内棋戦でもちゃんと結果を残してるし、肝心な時に負けなければ問題は全くない。囲碁のことを何も分かっていない人間にどう言われようが気にする必要もないのにと、オレは溶けかけた氷をかじりながら冷めた心境で考えていた。

    「お前も馬鹿だな。たかがネット碁でそんな熱くなることもないだろうに」
    「久々に進藤と打ってみたかったんだよ。正直負けるなんて思ってもみなかった。オレだってこのままで絶対済ますもんか」
    「おいおい、挑発に乗るのもいい加減にしておけよ。チャットでもだいぶ叩かれてたようだが、中傷なんか気にするな。進藤を負かしたいなら、そうしたいヤツが自分で勝手にすればいい。お前も棋戦が立て込んでいるんだ。ネット碁なんかで気を散らしてたら損だろう」
    「……分かっている。ネットで進藤と張り合うのは止めるよ。この借りは国際棋戦の場で返すさ」

     我慢していた怒りと苛立ちをブチまけて気が済んだのか、冷茶を一気に飲みほすと秀英は口をつぐんだ。
     いっときの沈黙。
     そして、これが本題だったのだろう。居住まいを正すと秀英はオレに話を切り出してきた。
     
    「永夏は、オレたちの対局を見てどう思った?」

     氷の欠片を飲み込むと、オレは目を上げた。
     秀英が相手だと、つい条件反射的に遊んでしまうのはオレの悪いクセだ。
    「子供のケンカ」
    「……ッ!!!」

     期待通りの反応に、オレは相好を崩した。秀英の言いたいことは分かっている。今や進藤は世界の頂上の一角を切り崩すほどの力をつけてきた。いずれコイツとは世界の舞台で戦うことになると。二年前に北斗杯で進藤と対局した時に受けた感触がいよいよ現実のものとなりつつあるのを、オレと同様に秀英も感じ取っているのだ。

    「ハハハ……冗談だ。オレのところには棋譜の検討に来たんだろう?」
    「うん。……悔しいけど、進藤は強くなったよ。オレだって腕を上げてるはずなのに、完全にその上をいかれたんだ」
    「ハンドルネームが分かってるのは、林日煥とお前か。他にも進藤と打ったヤツはいるみたいだが。棋譜はみたよ」

     オレは石を並べた。
     秀英は、眉間に皺を寄せて盤面を見つめていた。

    「林日煥の一局だ。日煥が黒。進藤が白。先に地を稼ごうとする黒に対して、白は黒を牽制しつつバランスよく模様を広げている。日煥は進藤がなるべく戦わずして勝とうとしていると考え、白の薄みを突いて打ち込み、乱戦を狙って進藤の白模様を荒らしに入った」
    「日煥は進藤を知らなさすぎだよ。アイツが戦いを避けるような大人しい碁を打つもんか」
    「まあ、結果そうなった。日煥の打ち込みに対して、進藤は自身の補強より相手の弱味をついた強手を連発。局面が複雑になって、読み違えてアテ損なった日煥の6目半負けで終わった」
    「……」
    「そして、お前と進藤の1局目だ」
    「オレが白、進藤が黒。序盤で、ここの10の17の一手で形を崩された」
    「こっちは6の13に打った方が上辺の黒も狙えて局面を広く使えたな。中盤に黒の厳しい手が続いたが、難しい読み合いの中でのお前のシノギも好手だった。……黒は対応が冷静だったな。うっかりしてると本筋に打ってしまいそうな場面でも、読み違えず的確に危険を避けている。以前の進藤ならこの辺で甘い手が出ていただろう。お前もヨセで追い上げたが3目半届かなかったな」

     盤上を睨みつけながら、秀英は苦々しげに吐き捨てた。

    「このあと都合2回打ったけど、完敗だった。……アイツ、変わったよ。予想外の手を打ってくるだけじゃない。隙がないんだ。打ち方が熟れて大人になった気がする」
    「やっぱり今までのは子供のケンカだったのか?」
    「もー……永夏ッ!オレは真剣なんだって!」

    (まいったな。プライドの高い秀英が、オレ以外の棋士に対して素直に負けを認めるとはね)
     真の棋力は、直接対局してみないと分からないが……秀英はそこまでの手ごたえを進藤に感じたのか。むくれる秀英の頭をかき回し一頻り和んだところで、オレは答えた。

    「ふん。ある程度のレベルまでいってしまうと、勝敗を分けるのはどれだけ完璧に自分の碁を打ちきれるかにかかってくるからな。負ける碁には、たいてい自分の側に理由がある。たった一度の甘い手。見逃し。少しの読み負け。わずかの緩みが取り返せなくなる」

     そして、勝つ碁に理由があるとすれば。
     ちょうどいい表現はないかと考えを巡らす、そのうちに。
     不意に閃いた言葉がするりと口から滑りでた。

    「──簡明至極。堅実無比。先を見据えた読みの深さ」
     訝しげに秀英が聞き返してきた。
    「誰のことを言ってるのさ?」
    「秀策だよ」

    (遠い過去と遠い未来をつなげるために存在する、か)
     自らの理想を追いかけ続けて、アイツは理想と自分を繋ぐ糸を、より強く確かなものに紡ぎ上げたのか。
     そして秀策という過去から繋がる糸の先に……ヤツは今、どんな形を見ているのだろう?
     オレは碁石を片付けた。

    「気分直しに一局打とうか。ニギれよ秀英」
     
     上目遣いでオレを見ると、そっけなく秀英は言った。 
    「キミも気になってるくせに。永夏も進藤と打ってみたいんじゃないの?」
    「それは逆だろう」

     なんでこのオレが、わざわざ下に降りてまでアイツの相手をしてやらなきゃならない?
     慌てる必要はどこにもない。おそらくそう遠くない、いつの日か……
     オレは笑って石を天元に置いた。

    「そんなにオレと打ちたいなら、ヤツの方が世界の頂上まで登ってくればいいのさ」



      
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