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    Author:夏風
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    八ツ原ダンジョン(後編)



     ──1時間後。


     洞窟の入口にある空き地は、出番を終えた妖たちの休憩所と化していた。
     戦利品と思しき《やくそう》を齧りながら座り込む、その他大勢の下級妖怪たちを、ヒノエは呆れ顔で眺めていた。

    「お前たち、やられついでにちゃっかり夏目の妖力を掠めとってきたのかい。しかもそのやくそうはどうしたのさ? そいつは夏目のために用意したはずなんだがねえ。どういう手違いであんたたちが使ってるんだろうね?」
    「それは、夏目様が……」
     下級どもを殴り倒した後、夏目が去り際に「ごめん!」と言って置いていったもののようだ。
     深くため息をつくヒノエ。
    「ったく、夏目らしいというか。まあ《げーむ》で小物相手とはいえこれだけの数を前によくやったとも言えるけどね。こうまでしても妖に情けをかけてるようじゃ先が思いやられるよ」
     懐かしげに木の葉の妖が言った。
    「こうして遊んでいると、なにやらレイコ殿と共にあった頃の事が思い出されますなあ」
     意表を衝かれたヒノエの目尻が下がった。口の端に微笑が浮かんだ。
    「ふふ……そうかもしれないね」

    「た、大変ですー……!」

     洞窟からヨロヨロ這い出るなりぺしゃりと倒れた河童に、ヒノエは訝しげな視線を送った。

    「どうしたんだい?」
    「身内の八ツ原の妖じゃない奴が紛れ込んでますう! 強力な奴で食われてる妖も出てるみたいでっ」
     ぽろりとキセルを取り落とすヒノエ。
    「なんだって! あああ、遊びのつもりが本番になっちまったんかい?」

     追い討ちをかけるように、ゴウと現れる、巨大な白い影。
     落ちる鉄槌の如く、天から怒声が響き渡る。

    「お前たち、私に隠れて何をしている? 夏目は何処だ!!」
    「「「「「……斑様ぁ!!」」」」」







    (……痛ッ……まだ先生のところまで辿り着かないのか)

     肩で息を吐き、疲れ切った体に鞭打ちながら、夏目は昏い洞窟の中を歩いていた。
     岩壁に、手をつく。小物だったとはいえ数が数だけに、相当な量の妖力を吸い取られてしまったようだ。あちこち破れてボロボロになった白い浴衣は、土と汗に塗れてぐしゃぐしゃに汚れてしまっている。よく分からないままに妖たちに襲われ、無我夢中に殴りつけそれらを振り払って走るうちに、中級たちに持たされたアレやコレやの道具もすっかりなくなっていた。
    (やくそうくらいは、残しておけば良かったかなァ。でもあいつらも痛そうだったし)
     光る苔でも生えているのか、洞窟の壁の其処此処から発する淡い光のおかげで、どの方向に穴が延びているのか、進む道だけは辛うじて判別できる。

     ──暗闇に、何かが動いた気がした。

    「夏目っ!」
     ゆらゆらと目に映る茶色のしっぽ。
     ぴょこんと笑顔で飛びついてきた馴染みの姿に、夏目は慌てて突き出そうとした拳を引っ込めた。
    「わあっ!! ……子狐か? 脅かすなって。なんでこんなところに?」
    「えへへ。夏目が大変だって聞いて、お手伝いにきたの。はい、これやくそう……」

     ──暗闇で、さらに何かが動いた。
     しゅるりと伸びてきた黒い触手がしっぽを捉え、手繰り寄せるように子狐に絡みつく。
     とっさに庇おうとした夏目の手も間に合わない。

    「きゃああああああああッ!!!!」
     触手の一振りで岩壁に叩きつけられる小さな身体。
    「子狐っ!!」




     乾いた声が響いた。
     異様な気配に、全身の皮膚が総毛立った。




     ──友人帳ノ、夏目カ?



     身体中が溶けていきそうな恐怖に耐えつつ、夏目は必死に叫んだ。
    「……ッ! 先生を連れ去ったのはお前か!?」


     ──サテ、何ノ事ダ? 知ラヌナ。
      ソレヨリモ、オ前ガ、友人帳ノ夏目ナラ、友人帳ヲ、ヨコセ


    「誰がお前なんかにっ! それより先生はどこだ!」


     ──分カラヌ事ヲ、言ウ。モノワカリノ悪イ、人ノ子ダ


     太い触手が伸びてくる。夏目に襲いかかる、蛇の形をした暗黒。


     ──身ノ程ヲ、知ルガイイ……!


    「させるかッ!!」
     渾身の力を込めて触手を殴りつける。ぶつりと切れた触手が地をのたうち回った。
     間髪を容れず、本体があると思しき空間に拳を繰り出す。妖の手ごたえがあった。
     呪の布が切れた。


     ──ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!!


     洞窟内に反響する、つんざくような妖の咆哮。
     怒りに満ちた叫び声が響いた。


     ──人ノ子、如キガ、ヨクモ……ッ!!!!


     しゅるしゅると闇から幾つもの黒い蛇が現れ、夏目に絡みつき、胴体を、四肢を羽交い絞めにした。
    「うあ…ぁ…ッ!!  は、放せッ! 放……ッ!!!」
     ミシミシと胸が潰される。苦しい。息ができない。体中が引き千切られるように痛い。
     自らの痛みをそのまま相手の身体に刻み込むように、荒々しく触手が蠢く。
     容赦なく壁に打ちつけられる。骨が折れる音。
    「わああああッ……!!!!」
     激しい衝撃と激痛に世界の全てがバラバラに砕け散った。

    「……こふ…ッ!」
     肺からせり上がってくる、むせ返るような、錆びた血の臭い。
    「……先生」
     薄れゆく視界と意識の中で想う。



     ごめん、先生。
     やっぱり、おれなんかが先生を助けるなんて、無理だったのかな?
     レイコさんみたいに、おれが、もっと、強かったら……
     

     かくんと。夏目が気を失うのと同じくして──強い風が吹いた。
     闇から現れ出た巨大な馬妖怪の蹄が、黒い触手を踏みにじった。
     降って湧いた非情な報復攻撃にたまらず、夏目を放して口惜しそうにずるずると引っ込んでいく影。



    「【蛇の眷属か。沼の妖の類が私に敵うと思うな。呼びもせぬのに我が主を傷つけ興を削いだは極めて不愉快だが……即刻消え失せるのなら見逃してやる。早々に立ち去るがいい】」










     ──ちゃぷん



     音がして、意識が戻った。湿った土と水の臭いがする。
     力が入らない。口の中は血の味がして、身体中が痛かった。

    (此処は……)

     仄昏い世界。
     折れた腕を庇いつつ、痛みを堪えて夏目は身を起こした。
     息をするだけで、胸が酷く痛む。肋骨も折れているのかもしれない。

     浅く息を吐きながら、岩壁に背中を凭せかける夏目。 
     アイツは? 子狐は? 先生は、何処だ?



     ──ちゃぷん



     漠然と。闇の向こうに、沼のような水の広がりがあるのが感じられた。
     ぞろりと蠢く気配に、警戒心が呼び覚まされる。沼にナニか、いる?
     闇から声が聞こえた。


    「【気づいたか、人の子よ。我らがここで何をしているか、わかるか?】」


     不吉な予感に、背筋にぞくぞくと悪寒が駆け上る。
     一つ息を吐くと、夏目は静かに闇に向かって問い返した。


    「お前は誰だ? ……いったい、何をしているんだ?」
    「【うん。喰っている】」
    「え?」


     大きな黒い影は、嗤ったようだった。


    「【お前の猫をな】」
    「なんだと!」


     激しく動揺しながら、夏目は必死に妖を睨みつけた。


    「嘘だ! 先生がそんな簡単にやられるはずはない」
    「【嘘だと思うなら、左手の方をよく見るがいい。私の眷属にしゃぶられて、既に残されているのは骨くらいだがな】」


     用心しつつ、暗闇を透かし見る。沼の水から剥き出しとなった、黒い地面が目に映った。
     原型を留めていない肉片、大きな獣の骨の散乱した、大量の血に塗れた地面の上に……

     記憶にある、元の色は白かったらしい長い毛、赤黒く汚れた毛の塊が、骨に絡みつくように散らばっている光景が、夏目の目に入った。


    「そ、そんな、まさか……」


     夢遊病者のように立ち上がり、血の海に向かって、ふらふらと二、三歩歩き出す夏目。

     ……先生が、死んだ?
     嘘だ。先生が消えるなんて、あり得ない。
     おれが呼べば、先生はいつもと変わらず、きっと───
     全身の力を込めて叫ぶ夏目。


    「先生ー! 先生ー! ニャンコ先生ーーーッッ!!!」
    「【無駄なことを。いくら叫ぼうが、死んだモノは、来ぬよ】」


     ──絶望的な沈黙が落ちる。
     頭の芯が凍りついてしまったように、何も考えられない。
     がくがくと身体を震わせながら、夏目は目を見開いたまま茫然と跪いた。
     黒い影は、優しく言った。


    「【お前を護る者は、既に無い。さて、お前をどうしようか、友人帳の夏目よ】」
    「……おれのことを、知っているのか?」
    「【もちろんだとも。お前のことはよく知っている。だから、友人帳を頂くために、邪魔な猫から先に喰わせてもらったのさ。お前の方から出向いてくれたとは実に好都合だ】」


     ──なんだって? 今、コイツは何て言った?


    「おれの用心棒だったから、先生を食べたのか?」
    「【そうだ】」


     夏目の喉から、血を吐くような叫びが絞り出された。


    「なぜ……なぜ、おれから殺さなかった! 友人帳が欲しいなら、先生は関係ないじゃないか…ッ!!!」
    「【猫は不要だが、お前は役に立つからだ】」
    「え?」
    「【友人帳はレイコの孫であるお前にしか使えないと聞いた。つまり、お前がいないと妖は呼び出せぬし、お前なしでは帳面は無用の品にしかならぬのだよ。更に言えばお前は面白そうな玩具だからな。それ故に、私はお前ごと友人帳が欲しかったのだ】」
    「誰が、お前なんかに……ッ!」


     体中で拒絶の意志を示して叫ぶ少年に、沼地の水が大蛇の群れのように襲いかかった。岩壁に叩きつけられ、ずぶぬれになる。ぐっしょりと身体に張り付く白い着物。夏目は激しい痛みに喘ぎながら身をよじった。
    「あ………あぅ…………ッ」
     影がこともなげに言う。


    「【人ごときを意のままにするなど、造作もないのだ。お前を痛めつけることも、命を奪うことも、この通り】」


     無力となった少年を嘲笑うかのように、闇が言った。


    「【さあ、どうする夏目? 我らと一緒にくるか? ここで我らの餌食となるか?】」


     絶望と痛みの中で、夏目が声を絞り出す。
    「……イヤだ! お前の言うことなんか、死んでも──」

     抵抗する意思を、一枚一枚はぎ取り、浸食するように。
     楽しげに。謡うように、たたみ掛けてくる声。


    「【威勢のいいことだ。その強がりがいつまでもつかな? ……ああ、ひとつ、言い忘れていたが】」
     闇が嗤った。
    「【お前を食べたら、お前の家の者や友人たちも一緒に食べてやろう。寂しくないようにな。我らにもそれくらいの慈悲はある】」


     目の前が、真っ白になる。
     脳内に大量の麻酔薬を打ち込まれたように、頭が無くなってしまったように、感覚がない。
     背骨が溶け、血が失われていくような無力感が、全身に広がっていく。


    「嘘だ……そんなこと、できるはずがない」
    「【お前のことならなんでも知っていると言っただろう。そうさな、手始めに、お前の家にいる人間の男女がいいか? それとも、釣り場で見た子供がいいか? 寺の子がいいか? 小娘がいいか? 祓い屋の若造がいいか?】」
    「やめろ!」
    「【お前が共に来ぬなら仕方あるまい。その気になるまで、一人づつゆっくりと味見をしてもよいかもなあ】」
    「やめろ!」
    「【弱いお前になにができるというのだ? どうあがこうと、我らを止めるなどと無謀な事は、お前程度の力では出来はせぬのだ】」
    「やめろ! やめろ! やめろッ!」



     やめろ、
     やめろ、
     やめろ、
     頼むから──やめて、くれ……ッ!!!!




     ──手のひらから、幸せが、零れ落ちていくのが感じられる




     涙が溢れてくる。
     いつも心の何処かで恐れていた。いつか、こんな日が来るんじゃないかと。

     災厄の元。
     どこまでいっても、その運命からは逃れられないのか?
     夏目は固く目を閉じた。
     あァ、それでも。

     おれは、無力だ。妖を止めることもできない。
     でも。何もできなくとも。たとえ力がなくとも、




     ──あの優しい人たちを、護ることだけは──




     痛みに耐え、残された力を振り絞って立ち上がる夏目。
     闇に向かって、よろめきながら、足が踏みだされた。
     身体が、声が、震える。
     何も見えない。頬には、止めどなく涙が伝い落ちていた。

    「頼む、から。……やめてくれ。……お前と一緒にいくから……おれのことは好きにしていいから……もう家に戻れなくてもいいから……ッ! だから───」
     命まで吐き出すように、烈しい口調で言い募られる言葉。
     ぱたぱたと、地に涙が落ちる。


     だから、お願いだ。
     塔子さんを、
     滋さんを、
     みんなを、
     どうか、傷つけないでくれ……ッ


     痛切な叫びと一緒に闇に投げ出された身体を、黒い影が呑み込んでゆく。
     糸が切れたように、夏目はその場にくずおれた。






    「【これで《げーむおーばー》か。やれやれ。我が主の人の良さも筋金入りだな】」






     とたんに。白い暴風が、地に倒れ込もうとする少年の身体を影から奪い取った。
     夏目を守るように黒い影に牙を剥くと、怒りに毛を逆立て、斑は荒々しく言った。

    「三篠。なぜ、こんな事をした? 返答次第では、ただではすまさん」
     物騒な気配を気にする風もなく、ぞばぞばと沼から姿を現す馬妖怪。
    「【遅かったな、斑よ。この頃合いで来たということは、お主もこの趣向の成り行きに興味があったのだろう?】」
     静かに殺気を漲らせ、馬頭の前に立ちはだかる白い巨躯。
    「黙れ。答えろ、三篠」

     沼護りは微かに肩をすくめた。

    「【なに、そろそろ夏目殿には今のお立場を自覚して貰おうと思ってな。ついでに我が主にどの程度の力があるか、試してみたくなったのよ。夏目殿に潜在する力は計り知れぬ上に、お前を傍に置くようになって久しくなる。祓い人ともなれば、いずれ夏目殿は我らにとって恐ろしい存在となるだろうからな】」

     苦々しげに吐き捨てる斑。
    「あいつに、それほどの甲斐性があれば苦労はせん」
     沼から這い上がると、三篠は、力尽きて斑の足元に横たわる少年の方へと目をやった。

    「【人であれ妖であれ、傷つけられれば憎しみや恨みの念を抱くのが常であろうし、相応に警戒心も持つものだろう。だが、夏目殿に限ってはどれ程傷つけられようとも相手を恨むことがない。これ程までに陰の氣が希薄な魂も珍しいことよ。妖にとっては実に都合がよい。人としてはむしろ欠陥とも言えようが】」

     斑は無言だった。
     馬の頭に穿たれた虚ろな二つの眼が、斑に向けられた。

    「【蛙は沼に、名はその持ち主に、人は人の世にあるのが世の理よ。斑、お主も自分でそう言っていたではないか】」
    「ふん。聞いていたのか」

     ──こいつも、友人帳も
       あるべきところへ帰るのだ───
     
    「【ヒノエにも言ったがな。夏目殿を想うなら、友人帳など取り上げて、我らのことなど忘れさせて、人の世だけに生きられるようにしてやればよいのだ。斑よ。なぜ、そうしない?】」
    「望まぬことを強要はせん。……夏目の居場所は、夏目が自分で決めるだけの話よ」
    「【フフフ。ヒノエも似たようなことを言っていたな】」
    「所詮は、友人帳をいただくまでの暇つぶしにすぎん。祭りの続く、その間は楽しむとするさ」


     そっけなく鼻を鳴らす斑。
     その白い姿を、黒い眼が楽しげに凝視した。


    「【友人帳か……そういうことにしておいてやってもよいが。では訊くが、その祭りが続くのは、夏目殿が友人帳を手放すまでか? あるいは、夏目殿が友人帳の名を全て返すまでか? 夏目殿が命を落とすまでか?】」


     苛立たしげに沼妖怪を睨みつける斑。
    「何が言いたい、三篠」
     考え深げに、馬頭が揺れた。


    「【友人帳から解放された後も、夏目殿が我らと共にあることを望んだなら、お主はどうする? その逆も然り】」
    「なんだと?」
    「【いったん深みに嵌ったものはそう簡単には逃れられぬということよ。もはや問題は友人帳だけではなくなりつつあるようだ。友人帳をなくせば、我らがあの方と持ったこの『つながり』もそこで断たれるのだろうか? 私には分からんなァ。夏目殿に対する我らの執着心は深い。それを断てると……真にそう言い切れるか、斑よ?】」


     訪れる沈黙。
     白い影に満ちていた殺気は、いつしか消えていた。
     言い合いに飽きたかのように、ふいと白い体躯が優雅に反らされた。


    「そんな迷い事を言って、友人帳を横取りしようとしても無駄だぞ。あれは私のモノだ」
    「【あァ、それもよい考えだな】」


     ニヤニヤと笑う馬の頭を、斑は不機嫌そうに睨みつけた。


     先のことなど、誰にも分からん


    「未来など、私の知った事ではない。何時でも私は私のしたいように、好きにするだけだ」
    「【フフフ……今あった出来事はただの戯言だが、一つの未来の形でもある」
    「あり得ん未来だ」
     一蹴する斑。
    「くだらん。私が消えるなどあり得んし、私の獲物に手出しもさせん」
     三篠の口調は飄々としている。
    「【そうか? 我が主だけでなく、お主も隙だらけよ。此度のような事もあるやもしれぬし、せいぜい気をつける事だな。夏目殿も人として生きるならさっさと妖に見切りをつければよいものを。全く難儀なことよなあ】」


     忌々しげに馬妖怪から目を逸らすと、斑は言い捨てた。
    「いい加減にしろ。この件は貸しにしておくぞ。私の獲物に無断で手を出したのだからな」
     馬の口は笑ったままだ。
    「【むしろ私の貸しだと思うが。まあよかろう。私も楽しめたからな】」


     それが終わりの合図のように。
     馬の頭が巡らされ、シャランと鈴の音が洞窟内に響いた。


     ここで遇った事は、ただの夢だ。
     目を覚ませば、夏目殿はいつもと変わらぬ八ツ原にいる。
     ──そういうことだ。



     無言のままで、夏目を咥え込む斑。
     馬頭を一瞥すると、長居は無用とばかりに、白い風は地を蹴って、鈴の音を後にした。














     ────いい香りがする






     草木の匂い。花の匂い。日向の匂い。

    (暖かい)

     そよぐ風が、陽の光が、肌に感じられる。 
     腕に、頬に触れる、柔らかな感触。
     目を開けると、自分の身体が、手に馴染んだふかふかの白い毛並みに埋もれているのが、分かった。



    「………先生?」
    「目が覚めたか、夏目」



     がばりと身体を起こす。
     夏目が辺りを見回すと、そこにはいつもと変わらぬ……夢のような八ツ原の森の風景があった。
     晩い午後の穏やかな陽射しの中で、賑やかに酒盛りをする妖たち。
     揺れる緑の葉。葉擦れの音。こぼれる木漏れ日。梢の上に広がる蒼い空──



     世界が、滲んで、ぼやけていく



    「先生?……無事なの? なんともないの? 消えちゃったんじゃないの?」
    「何を訳の分からんことを言っておるのだ?」
    「だって! おれ、妖に捕まった先生を助けに行って、妖に襲われて、先生が……死んじゃってて……ッ!」



     蘇ってきた、込み上げてきた強い悲しみに、言葉が詰まった。
     止めようもなく涙がぽろぽろと零れ落ちてくる。
     頭上から怒声が落ちてきた。



    「たわけ─────ッ!!!!!」
    「せ、先生……?」
    「何を大たわけた夢を見ておるのだ? この私がそんじょ其処らの妖相手にやられるわけなかろうが!!」
    「で、でもっ! 夢って? おれ、妖にやられて…………あ、あれ?」



     あれほど酷かった傷が……消えている?
     腕も胸も痛くないし、身に着けているのは制服で、何処も汚れていない。


     どっちが現実で、夢なのか?
     まさか、今見えているこの景色の方が、夢なんじゃ……


     混乱した頭で、夏目は呆然として周りを見つめた。
     ブナの木の下でヒノエに酌をしながら、のんびり笑いかけてくる牛顔とつるつるが目に入った。



    「夏目様~! ようやく起きられましたな。よく寝られましたか?」
    「中級?」
     元気に手を振る子狐が見える。
    「夏目~っ!」
     いきなり、先生に顔を一舐めされた。
    「わあっ!!」
    「まだ寝ぼけておるのか?」
     不機嫌そうな先生の声。しだいに落ち着きを取り戻して戸惑う夏目。
    「……………本当に、夢だったのか?」



     先生が、死んでしまったことも?
     妖に……自分をやると約束したことも?



     ぱふんと。
     柔らかな白い世界に、顔を埋める。先生の体をぎゅうと抱き締めながら、夏目は呟いた。

    「おれ、家に帰っていいの? 先生と一緒に、家に帰れるの?」
    「当たり前だ。何を言って………夏目?」


     言葉を切ると、少年の体を抱きなおすように囲い込む白い身体。
     その巨きな身体にしがみつくと、声を押し殺しながら、夏目は激しく泣きだした。



    「夏目様……」
    「うーん。ちょいと遊びが過ぎたようだね」
    「……ごめんね、夏目」



     超反省の色を浮かべて、泣き続ける夏目を見守る(一部)犬の会の面々。


     ……ただ、遊びたかっただけなのに。
     決して夏目を悲しませたかったわけじゃないのに、どうしてこうなってしまったのか。
     夏目を困らせるのも、からかうのも、夏目に力を貸すのも、感謝されるのも、花が開くように笑う夏目の顔を見るのも、とてもとても心地よく楽しいものだが。
     こんな風に身も世もなく泣かせてしまっては……どうにも居心地が悪く落ち着かない気持ちになってしまう。


     煙を吐きながらヒノエが呟いた。


    「それにしても、神水の用意があって全く助かったよ。癒しの霊水なんてよく手に入ったね、中級」
    「水神様からの賜り物です。どうも夏目様のことをご存知の様子でいらっしゃいましたなァ」
    「水神様が? さすがに夏目は顔が広いね」
    「そういえば、もう一つお借りしてきたものがありました。《えんでぃんぐ》の演出は華やかな方が良いと聞きましたので。これです」


     懐から水晶珠を取り出す中級A。


    「これ、どうやって使うの?」
    「水神様は、水をかけろと仰っておられましたな」
    「宝玉の一種のようであります」
    「酒はありますが、水がありませんなあ」
    「河童の皿の水は使えないかい?」


     水晶珠を、河童の頭の皿に載せる。子狐が、珠にちゃぷちゃぷと水をかけた。
     珠から空へと向かって、もくもくと立ち昇る、赤と青と緑の水煙。
     空にかかり始めた三色の虹を見て、妖たちの間に感嘆の叫びがあがった。

    「見て見て、夏目ーっ!」

     子狐の声に、涙に濡れた目を空に向ける夏目。



     ──虹?



     願いの叶う虹の話をしていたのは、いつかの妖だったか?
     ふいに。
     気遣わしげに夏目を見守る妖たちの視線に、夏目は気づいた。
    (みんな……)


     完璧に状況を誤解している夏目の表情に、斑は舌打ちした。《げーむ》とやらは失敗だ。妖を信じるなとあれほど言い聞かせてるのに、この大馬鹿者め。全く学習しとらんではないか。
     長居は無用と、白い頭が夏目を小突いた。
     

    「そろそろ帰るか。塔子が待ってる。夕飯を食いに戻るぞ夏目」
    「うん……先生、七辻屋でお饅頭買って帰ろうか?」
    「! お前の気の変わらぬうちに早く行くぞ夏目!」
    「わーっ! 先生ーっ!!」


     三色に光る空へと向かって、勢いよく白い風が駆け上がる。
     白い毛並に埋もれながら、目を閉じて夏目は祈った。
     許されるだろうか。もし許されるのなら、叶えたい願いはただ一つだった。
     いつまでも、いつまでも、



     ──どうか、この幸せな時がいつまでも続きますように、と──
     









     白い塊がだんだんと小さくなり点になって──
     斑に乗った夏目の姿が空に消えると、八ツ原の妖たちは一斉にため息をついた。
     これで《えんど》だ。(いろいろ間違ってたけど)最後までやり遂げたぜ!
     《げーむ》恐るべし。とにかく疲れた。



    「なんとか終わったようだね」
    「いやはや。人の子の遊びとは……全く侮れませぬなァ」





                       ──End──

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