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    2011年12月

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    白昼の月に想う

     
     玄関から台所までって、こんなに遠かったっけ?

     グラタングラタンと連呼するニャンコ先生の声になんとか気力をふるい起こし、オーブンの設定をしてスイッチを入れたところで、夏目の電源は落ちてしまった。
     焼き上がりを待つ余力もない。
     鍋はすっかり忘れ去られていた。
     キッチンテーブルに突っ伏し、今にも眠り込んでしまいそうな頭を、必死の形相でニャンコ先生がたしたしと叩く。
     このままだと、まともな夕飯にありつけなくなってしまう。

    「台所で寝るなっ。起きろ、夏目っ!」
    「……だめだ。疲れすぎて、起き上がれない……」
    「この軟弱ものめ!立てっ!立つんだ、夏目~っ!!!」
    「先生。おれのグラタンも食っていいからさ。オーブンから出して……」
    「なんだと?」
    「食べたら、皿も洗わなくちゃ……」
    「なにい☆それは、私に皿を洗えということか!おいっ、夏目!寝るんじゃなあいッ!!」

     仕方なく、子狼を巣に引きずり込むように、夏目を寝床に運び込むニャンコ先生。

     いつもと違う静かすぎる広い家で。
     一人と一匹の夜の、澱んだ時が刻まれてゆく。

    (ふん。食えなくとも、寝られるだけマシかもしれんと思っていたのだがな)

     普段から、夏目が夢に魘されるのは珍しいことではないが、その晩の魘されようは特にひどかった。
     疲れて身体は眠りを欲しているのに、目を閉じれば、見るのは眠りを妨げる悪夢ばかり。
     妖に大事な人たちが食べられて責められて、一人になってしまう夢を見ては目が覚め、眠りにつきたくなくて浅い夢に引きずり込まれると、また似た同じ悪夢に襲われるという悪循環。
     いつか聞いた罵声が、心を打ちのめす。

     災厄の元め。
     消えてしまえ。

     何度目になるだろうか。
     冷たい汗に濡れ、ひどく疲れて、目が覚めた。
     馴染んだ柔らかな毛並みが手に触れ、夏目は縋るようにそれを掴み握りしめた。
     微かな身体の震えを止めることができない。

    「先生」
    「──馬鹿者め。妖に弱い心を見せるなと言っただろう」
    「わかってる。でも……怖いんだ」
    「ったく。しょうがないやつだ」

     白い巨体が、防壁のように夏目を囲い込みうずくまる。

    「今夜だけだぞ」
    「うん。ありがとう、ニャンコ先生……」

     目を閉じる夏目。
     朝までの短い時間、白い闇に包まれた静かな眠りが、夢に妨げられることはなく──



     目覚めの気分と体調は、最悪だった。

    「ひどい顔色だな。今日は動くのは無理だろう。休んでおけ」
    「そんなわけにはいかないよ。留守中に学校を休んだりしたら、塔子さんたちに心配かけてしまう」
    「阿呆。妙なところで意地を張るな。昨日からメシも食っとらんだろう。そんな調子じゃ、一日もたんぞ」

     家のことは先生に任せ、留守中を普通に過ごさなければという使命感だけで、なんとか学校にたどりついたものの。
     昨日のダメージと寝不足を解消できないまま、夏目の疲労はピークに達していた。
     
    (先生の言うとおりだったかな)

     授業が終わるなり、我慢できず頭を机の上に伏せ、目を閉じる。
     夕べからの極度の疲労感は抜ける気配もなく、上半身を起こしているのも辛くなってきていた。

     やっと3時間目か──
     学校に来て動いていれば、よくなると思ったんだけど。

     と、肩に手が置かれるのが感じられ、西村の声が頭上から聞こえてきた。

    「なーつめ。お前……大丈夫か?」
     いっとき薄目を開けるが頭を起こす気力が足りず、寝たままで、やっといつもの答えを返す。
    「うん。大丈夫」

     蒼白な頬に、閉じられた瞼、口だけ動かしての簡単な応答。
     それきり反応が続かない。

    (そんな状態で「大丈夫」ってのが、通ると思ってんのかよ)
     矯めつ眇めつ夏目を見つめると、西村はため息をついた。

    「なーんか、おれ。お前とのつきあい方、わかってきた気がするわ。……そら」
     くいと、学生服の袖を腕ごと引っ張る。
    「え……なに?……うわ……っ!」

     椅子からずり落ち、そのまま机と机の間の通路にへたりこむ夏目。
     立とうとして手をつくが、ふらついて床に半ば倒れ込んでしまう。
     支えるように夏目の背に手を添えながら、西村はしゃがみこんだ。
     普段は見せない真面目な顔が、夏目を見据えていた。

    「やっぱりな。おい、辻!手をかしてくれ。夏目を保健室に連れていくぞ」
    「待ってくれ、西村……」
    「病人は、黙っていうこときけ」

     どうしたんだとクラスメイトらが向けてくる視線と騒めきを感じる。
     頭がはっきりしているときの夏目なら、居た堪れない気分になりそうなものだが、思考がそこまで回らない。
     力の入らない身体を起こそうとしている当人に構わず、横ではやり取りがされていた。

    「こりゃ、歩けそうにないな。おれが負ぶってくから、担ぐの手伝ってくれ」
    「保健室まで一人で担いでいけそうか?」
    「いけると思う。こいつ、軽いから。あ、でも途中二人だけだとなんか変だからさ。一緒に来てくれよ」
    「わかった」

     気づけば斜め後ろから辻に抱えあげられ、夏目は西村の背の上に乗せられ、揺すり上げられていた。
     掴んだ手の冷たさに、西村は一瞬瞳を凝らしたが、何も言わずに背負い直すと一言だけ声をかけた。
    「そんじゃ、いくからな」
     歩調に合わせて校内の景色が揺れ、通り過ぎていく廊下の窓の光が、ぼんやりと目に入る。

     三人が保健室に入ると、様子を一目見るなり、先生は問答無用で夏目をベッドに押し込んだ。
     救急車騒ぎになりかけたが、大げさにしないでほしいという夏目の懇願でそれは見合わせられ、とりあえずは安静にするようにと厳命された。
     
    「脈も弱いし血圧がかなり低いわね。おうちの方に連絡して、お医者様に診てもらった方がいいと思うのだけど……」
    「いえ。大事な用があって、昨日から家には誰もいないんです」
    「あら、それじゃ先生が付き添っていくから、一緒に病院へ行く?」
     必死で笑顔をつくる夏目。
    「大丈夫です。昨日から食欲がなくて貧血ぎみなだけですから。少し休めば自力で帰れると思うので、このままここで休ませてください」
     先生は、推し量るようにその笑顔を凝視していたが、やがて軽く息をつくと頷いた。
    「そこまで言うなら、暫く様子をみることにしましょうか。気分が悪いようなら我慢せずすぐに言うのよ」
    「はい、すみません」

     気遣わしげに西村がたずねた。

    「塔子さんたち、今日いないのか?」
     ベッドの上でぎこちなく微笑む夏目。
    「うん。午後には戻ってくるって言ってた」

     気まり悪げに手を頭にやると、西村は諭すように言った。
    「強引に連れてきて、悪かったな。だけど、こうしなかったらお前、一日あのままでやりすごす気でいたろ。途中で倒れてたぞ……つーか、ありゃ倒れてたも同然だって」
    「……ごめん」

     申しわけなさそうに目が伏せられる。
    (だからー、そんな顔させたいわけじゃなくて)
     半分怒った調子で、西村は努めて軽く言った。

    「前にも言っただろ。変に遠慮するな。具合が悪いときは言え。しなくていい無理はするな」
    「うん……ありがとう」

     チャイムが鳴り、時間だと西村と辻は視線を交わす。
    「じゃ、おれらいくけど。おとなしく休んどくんだぞ」
     戸口でもう一度確認するように振り返り、夏目の顔を目に収めると、西村は出て行った。


     室内が静かになると、夏目はぐったりとベッドに体を預けた。残されていた気力体力は、病院送りにされまいと元気な様子をみせるのに、完全に使い切っていた。
     照明が落ちるように、くらりと目の前が暗くなる。

     なんだ、これ……。
     気が抜けたのかな。
     昨夜は夢見が悪くてよく寝られなかったし。
     目を開けていられな……。

     瞼が落ちる。
     深い疲労感に逆らえず、夏目は、泥沼に引き込まれるような昏い眠りの底に落ちていった。



     昼休み。
     夏目の顔を見に2組に来た田沼だったが、教室の中に目当ての人影は見当たらなかった。
    (西村もいないのか)
     入り口で、ちょうど出てきた2組の生徒をつかまえ、田沼は訊ねた。

    「夏目、いる?」
    「あいつなら、3時間目が終わった後、具合が悪くなって保健室へ連れていかれたぜ」
    「えっ」

     胸騒ぎがして、1階にある保健室へと急ぐ。
     昨日の出来事が出来事だけに、夏目の顔を見て元気でいるのを確かめようとしたはずが、不安が的中してしまったという想いが拭えない。

     田沼が保健室に入ると、先生や他の生徒の姿もなく、外のざわめきがわずかに聞こえる程度で、中は静かだった。
    (人のいる気配がしないけど、いるのかな)
     そっと仕切りカーテンをかき分け、中を覗く。
     と、ベッドの上では夏目が死んだように眠っていた。

    「夏目?」

     顔色の白さに、心臓がドキンと跳ねあがる。
    (生きている、よな?)
     微かに胸のあたりで布団が上下しているのを確かめると、田沼はホッと息をついた。
     音を立てないようにベッドの脇に椅子を引き寄せ座り込むと、夏目の顔をじっと見守る。

    (ののしられるより、こっちの方がこたえるな)

     別れ際、ひどく疲れた顔して体力限界って言ってたけど。
     消耗しきってるって感じだな。
     一晩くらいじゃ、やっぱり回復しきれなかったのか。

    「おい、おれに文句を言うんじゃなかったのか、夏目」

     窓際のカーテンが揺れ、ことり、と音がする。
     窓の隙間をこじ開けるようにすり抜け、白っぽい塊がぼとりと落ちてきた。
     いきなりわいて出た、場違いな特大まんじゅう猫に目を見開く田沼。

    「ニャンコ先生?」
    「やれやれ、思ったとおりだ。タヌマの小僧もいるな。保健室にいるということは、お前も調子が悪いのか。軟弱ものどもめ」
    「いや、おれは夏目の様子を見に……確かに調子がいいとはいえないけど。夏目に比べたらたいしたことはないよ」

     ポン太を見ると、なんでか安心するな。
     馴染みとなった毒舌に和むと、田沼はにっこり笑った。

    「……で、夏目は?あれからずっとこんな具合だったのか?」
    「まあな。幸か不幸か、塔子と滋は昨日から留守だ。塔子にグラタンを食えと言われてたのに、チンしたところで沈没しおって。おかげでこの私が、グラタンをオーブンから出して、こやつを引きずって寝床に入れる羽目になった」
    「へえ。先生、その前足でよくグラタン出せたな。やけどしなかったか?」
    「あほぅ、この姿でできるか!」
    「昨日みたいに人の姿に化けたのか?ハハハ……エプロン姿のセンセも、似合いそうだな」
    「何を想像しておる。笑いごとではないわっ」

     真顔に戻る田沼。

    「塔子さんも滋さんもいなかったなんて。一人でどうしてたんだ、夏目は」
    「見ての通りだ。一昼夜ビンに閉じ込められた挙句、下等共の見世物にされた時点で、かなり消耗していたはずだ。その上、ビンから出てすぐ、妖やオミバシラ相手の立ち回りとあってはな。今日は家で寝てろと忠告してやったのに、心配かけたくないなどと馬鹿いいおって。いつまでたっても、学習せんやつだ」
    「そうか」

     田沼は、俯いた。

    「おれが関わってしまったことも、負担になっていたんだろうな」
     あくびをするニャンコ先生。
    「気にするな。今回に限っては、お前がいたから上手く事が運んだともいえる。そもそも、こやつが不注意なのがいかんのだ。ま。妖がらみでお前の命が危険に晒されたのを見て、今までため込んでいた不安に蓋をしきれなくなったんだろう」

     辛そうにかすかに身じろぎし、また動かなくなる夏目。
     穏やかに眠っているとは言い難い蒼白な顔を、田沼は不安気に覗きこんだ。

    「夏目、夏目?……うなされてるのかな」
    「いや。今は夢もみないほど深い眠りに入っているようだ。その方がよかろう」

     突き放した言い方にある沈んだ調子がひっかかり、田沼は思わず突っ込んだ。

    「見れば悪い夢ってことか?……先生、いつもはどんな夢をみているんだ、夏目は?」
    「ったく。なんでも聞きたがるやつだな」

     面倒くさげに顔をなでる先生。
     黒々とした眼が細められ、田沼に向けられた。

    「そう、以前は昔の夢をよく見ていたが。近ごろでは、お前たちが、妖ものに食われる夢も増えてきたな」
    「え?」

    (どうしたんだ?顔色よくないぞ、夏目)
    (ハハ……いつもの寝不足かな)

     おれが、夏目が妖に食われる夢を見るように、夏目は……

     キリと、唇を噛みしめる田沼。
     追い討ちをかけるように、そっけない声が耳を打つ。

    「これに懲りたら、今後は深入りせんことだ。いつも運が良いとはかぎらん。万一お前らが死にでもしたら、夏目はこっちに戻ってこられなくなるぞ」

     その言葉に鳩尾の辺りがすっと冷たくなるのを感じ、田沼は小さく頷いた。
    「肝に銘じておくよ、先生」


     からりと静かに開く、保健室の扉。
     振り向くと、予想外の人影が目に映り、田沼は驚いた。
     眼鏡に長身のスーツ姿、落ち着いた物腰の年配の男性は……

    「藤原さん?」
    「田沼くん。おや、ニャンゴローも迎えにきていたのか」
    「どうして学校に? 留守にしておられたって……?」

     悔いるような笑みが微かに浮かんだ。

    「予定より早く家に着いてね。……塔子が。家の様子をみて、貴志になにかあったんじゃないかと心配しだして。食事もろくにしないで夕べの皿を片付けないまま学校にいったのは、おかしいと。それで、気になって学校に電話をかけてみたら、具合が良くないと聞いて、急いできたんだ」
    「そうですか」

     足元をちらと見ると、ポン太が悠然と耳の裏を掻いていた。
     確信犯だな、と呆れる田沼。
     さすが先生。夏目と藤原夫妻をよく知っている。
     ……単に、皿を洗うのが面倒だったからかもしれないが。

    「眠っているのか。……貴志?」

     ためらいがちに、髪をかきあげ額に触れる大きな手。
     田沼の目に、父の姿が重なる。
     妖にあてられて寝込むたびに、気がつけばいつも傍にあった、穏やかな手と暖かな声。
    (よかった……)
     それが夏目にもあったのだと、田沼の胸はじんと熱くなった。

     夏目を案じ顔で見守りながら、滋さんは声をひそめて言った。

    「無理に起こしたくはないが、この状態でここにいるわけにもいかないだろう。外に車を止めてあるし、家に連れて帰ることにするよ」
    「はい。……少し待っててください。おれ、鞄とりに教室へ行ってきますから」
    「ありがとう。すまないね、田沼くん」

     田沼が2組の教室にいくと、廊下で立ち話をする西村と北本が目に入った。
     急ぎ足で近づいてくる田沼に気づくと、二人は何かあったのかと表情を改めた。

    「どうしたんだ、田沼」
    「すまん、西村。夏目の鞄、どこにあるかわかるか?」
    「って。お前、保健室いってたのか。おれたちも今いくとこだったんだ。夏目、起きられるようになったのか?」
    「いや、まだ寝てる。藤原さんが迎えにきたんだ。それで夏目の荷物をとりに」
    「わかった。持ってくるから待ってろ。おれたちも一緒にいく」

     西村は飛び上がって教室へ戻ると、夏目がいつも持ち歩いている大きめの学生鞄を持って出てきた。
     言葉少なに顔を見交わし、足を速めて三人は保健室へと急いだ。

    「貴志?」
    「なーつめ、おい夏目!」

     結局、呼びかけても夏目は目を覚まさず、滋さんに抱き上げられ保健室を出ることになった。
     手伝うと申し出た三人に滋さんは微笑むと、自分が連れていきたいのだと控えめに答えた。

    「こんな機会でもないとなかなかできないからね。三人とも、ありがとう。……さて、いくぞ、ニャンゴロー」

     二人と一匹が乗った車が出るのを見送る。
     車が学校の門の向こうに消えるのを見届けると、三人はホッとした顔を見合わせた。

    「滋さんが迎えに来てくれて、よかったな」
    「ああ」
    「夏目んちのブサ猫も、心配して学校までついてくるなんてさ。よっぽど夏目のことが好きなんだなあ」
     不本意そうにそっぽを向く先生の姿が目に浮かび、微笑する田沼。

     少しの間の後。
     気がかりな表情で、ためらいがちに北本が言った。

    「それにしても、あれだけ揺すられても目を覚まさないなんて。眠ってるってより、ほとんど気を失ってた感じだな。あんなに具合が悪いなら、休めばよかったのに」
     北本に乗っかり、西村も言いはじめる。
    「そいや、昨日も調子悪いのに強がってたのかな?すぐに帰ってったし、いつもの夏目と感じが違ってて、なーんか様子がおかしかったよな」

     それって、先生……だよな?きっと。
     偽夏目の高圧的な態度を思い出し、内心ドキリとする。
     頼むよポン太……と、田沼はこっそりため息をついた。

     心配が安心にとって代わった反動か、西村が我慢も限界とばかりぶちまける。
    「いつもいつも……しなくていい無茶して。人のことばっか気にして自分のことは後回しだ。今日だって、藤原さんの方で気がついて迎えにこなかったら、『何でもないです』って顔して、家に帰る気でいたんだぜ、あいつ」
    「いえてる」

     ずっと感じていた漠然とした懸念が、積もり積もって、確信に変わろうとしていた。
     本当に助けが必要なとき、夏目は助けを求めない。
     自分を助けようとする気持ちが、頭から抜け落ちてしまっている。

     どうして、あいつはいつも肝心なときに……

     西村と北本は、本気で心配になってきていた。
     田沼の方を振り返ると、北本が物言いたげな視線を向けてきた。

    「なあ、夏目、しょっちゅう体調崩してるよな。おれたちには何も言わないけど。……本当に大丈夫なのかな。田沼、お前は──何か、聞いてないか?」

     二人の真剣なまなざしが、田沼の胸をしめつけた。
     二人の不安は、自分の想いだ。わかりすぎるほど、わかっている。
     でも。
     どうして昨日の出来事を、あの危険極まりない異常な体験を話すことができる?
     話して信じてもらえたとしても、見えないおれたちには手の出しようがない世界だというのに。
     相手の事が、好きで大切であればあるほど──

     怖がらせたくない。
     心配をかけたくない。
     どうしようもないことで、悩ませたくない。
     危険に巻き込みたくないと……。

    (夏目は優しすぎるからな)

     《絶対に田沼をここから帰す》

     妖の館に田沼がきてしまったと知って、夏目が見せた決死の表情。
     自分がどんな代償を払っても田沼だけは助けると、その顔には書いてあった。
     ああ、そうなのかと、その時、田沼は腑に落ちたのだ。
     祓い屋の名取さんとの関係を隠していた事、然り。
     妖がらみの危険に、誰をも、絶対に巻き込むまいと、夏目がどんなに心を張りつめ、手をつくしてきたのか。
     それが避けられない運命だと思ってしまったら……きっと夏目は離れていってしまう。笑って嘘で塗り固めた壁の向こうに閉じこもってしまうのだ。
     妖のもたらす災厄も、不安も哀しみも全て、一人で抱え込んだまま。
     見えない人間が不用意に妖の世界に関わろうとすることは、悪くすれば夏目を追い詰め、その手にある日々のささやかな幸せさえも、捨てさせてしまうことになりかねないのだと。

     壁の向こうにある苦悩と孤独を想い、胸がずきりと痛む。

     そうか。こんな風に、こんな想いで。
     《なんでもない》と。
     夏目は口を閉ざしてきたのか。つかなければならない嘘をついてきたのか。

     二つの想いの板挟みになり、田沼は一瞬迷った。
     が。
     どうする?と見上げてくる先生の目が、ふと脳裏に浮かび、すっと頭が冷え迷いは消えた。
     今しばらくは夏目の共犯者でいればいいと、心を決める。
     夏目が自分で言えるようになる、いつか来る、その日までは。

     田沼は、静かに言った。

    「おれにわかるのは、夏目のいう『なんでもない』には、嘘が多いってことだ。誰にも迷惑をかけたくないばかりに、大丈夫じゃなくても『なんでもない』っていうのが、癖になってしまっている。そうだろう?」

     頷く二人。

    「うん。あいつの場合、自覚がないのが問題だよな」
    「夏目は誰かの事を悪く言ったり、昔の話はしないから……いろいろ複雑そうだから、おれや西村には言いようがない事なのかもしれないけどさ。今日みたいな日に、無理する必要はないんだ。あいつの抱えてる悩みだって、話せば楽になることだってあるかもしれないじゃないか」

     西村は拳を握りしめ、悔しそうに俯いた。

    「前はあいつの悩みに耳を貸すやつがなかったとしても、今はおれたちがいるんだから。ちゃんと話をきいてやるのに。変に気を遣って隠すことなんてないのに。おれは、どうにかしてそれをあいつにわからせたいんだ。どうしたら、あいつは……」

     あれ?

     自分の目から滲んできたものに驚き、西村はあわてて腕で顔を拭った。
     ポンと。
     神妙な面持ちで北本が横から西村の肩を叩き、首に腕を回す。

    「西村……お前って、本当にいいやつだよなー」
    「うるせー!今さらわかったかっ」

     北本の腕の中、照れ隠しに暴れる西村を中心に、深刻なムードが融け、空気が暖かくなる。
     北本と田沼は一緒に笑い出し、口を揃えて言った。

     ──同感だ。

     こー男三人肩寄せ合ってしんみり話してるとさ、なんかこっ恥ずかしいよなー。

    「はあ。どーせなら可愛い女のコのことで悩みたいぜ」
    「相手がいればな」

     じゃれあう二人の声を耳にしながら、田沼は、車に揺られて家路についているだろう夏目を想う。

     お前の抱える痛みも哀しみも。
     はっきり分からなくとも、そこに「ある」のだけは、感じてしまうんだよ、夏目。
     妖が見えなくても、隠されても、お前のことを本気で心配する人間には、見えてしまうんだ。

     だから、いつかお前にも見える日がくるといい。
     夏目が想ってくれているように。
     夏目にも笑っていてほしいと願っている、おれたちの想いが──


     薄蒼い空には、半分欠けた白い月が、けぶるように浮かんでいた。




     夕刻。
     夏目は、自分の部屋でひどく動揺していた。

    「……。なんで、家の布団で寝てるんだ、おれ?」
    「滋がお前を家に連れ帰ったのだ。覚えておらんのか?」
    「滋さんが?学校までおれを迎えに?」
    「そうだ。……ふふん、お前、滋の腕に抱かれてきたのだぞ」

     青い顔が、さらに青ざめる。

    「えええっ!!……そ、そういえば、父さんの夢を見たような気がするけど……うわあ。どうしよう、それじゃあおれ、ものすごい迷惑かけたんじゃ……」
     はっとなる夏目。

    「友人帳は?教室に置いてきたままだった……!」
    「慌てるな。友人帳ならそこにある。タヌマといつもの二人が、出がけに鞄を滋へ渡していたぞ」
    「そ、そうか。……本当にあちこち迷惑かけちゃったんだな」

     まともに留守番もできなかったのかと、どーんと落ち込む夏目を片目で見つつ、毛づくろいを止め、丸くなるニャンコ先生。
     昨日説教できなかった分、小僧どもには少しは薬になったろうと満足する。
     それより今夜のメシだ。
     今日こそは労働に見合ったまともな飯にありつけないと、全く割りに合わない。

    「いいから寝てろ。だから忠告してやったろう。無理しても碌なことにはならん。何度もいうようだが、いいかげん学習した方がいいぞ、夏目」
     うな垂れる夏目。さらりとした髪がぱさりと頬に落ちた。
    「──うん。反省したよ、ニャンコ先生」






     とっぷりと日が暮れる。
     その晩。


     夏目を気遣って塔子が出してきた夕飯は、消化の良い軽い食事だった。

    「お腹に優しいメニューにしてみたの。うふふ、悪いけど、猫ちゃんも今日はつきあってちょうだいね」
     オジヤを前に逆上する先生。


    「肉だ!魚だ!エビにイカだ~~~ッッ!!!」
    「耐えてくれ先生。良くなったら七辻屋で饅頭買ってくるからさ」



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